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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和5年 6月 法話
法話1

南無阿弥陀仏  オンライン法話へようこそお参りくださいました。
今年は、親鸞聖人さまがご誕生になられて850年。浄土真宗が開かれて800年という、遇い難き年にご縁を恵まれました。 ご縁ということで、ネパールのカトマンズ本願寺の所長をされております、ソナム師とのご縁をお話させていただきます。
ソナム師は、チベット仏教で最も厳しい修行を完成された偉いお坊さんでした。
25歳の時、ブッダガヤで、交通事故による四肢体幹麻痺の重度の身体障害者・向坊弘道氏との出会いによって、浄土真宗のお坊さんになられた方であります。

●お二人の会話です。向坊氏が「あなたは毎日、朝から出かけていますが一体何処に行ってるのですか?」 「私は、朝からブッダガヤで瞑想修行し、夜帰ってお経をあげて寝ます」 「あー修行ですか。なぜするんですか?」 「煩悩がたくさんあり、煩悩を無くし、菩薩になるため修行しています。」 「いつからですか?」 「3歳頃からです。」 「そんなに長く修行しているなら、菩薩でしょう?煩悩は無くなったでしょう?」 
「そんなに簡単に煩悩を無くすことは出来ない、一生懸命修行しています。」

●「あーあなたは本当にかわいそうねー。煩悩を無くすため、そんなに長い間修行してもなくならない!そのまま、今、あなたが死んだらどうなるのですか!そのまま死んだら間に合わないよ!!」といいました。
何を言ってるのこの人!!煩悩が邪魔だとか! この人と話して、自分が嫌になりました。 でも煩悩が無くならず、悟りも開けず、このまま死んだら本当に間に合わない!!
●「昨日あなたは、私に間に合わないと言ったじゃないですか!あなたは自分が死ん
だらどこにいくかわかる?私は動けて修行が出来る。でもあなたは動けないから修行
が出来ない!!あなたも心配でこんな遠く迄来たのでしょ!と怒って言いました。

●ただにこにこ笑って「あなたが考えてることは全部違う。あなたみたいな心配は何にもない。私は嬉しいのです。いつも阿弥陀様と一緒です。阿弥陀さまの手の真中です。死んだら地獄に行くか、どこに往くか心配していません。もうすぐお浄土に生まれます。それを楽しみに待ってるの。ここに来たのは、お釈迦さまにお礼を言いに来ました。 私は事故に遭って苦しくなりました。でも親鸞聖人の教えに出遇って、私の人生は変わりました。とても嬉しくなりました」 「何が嬉しいですか!私から見たらどこにも幸せがない! “南無阿弥陀仏”を一回二回言ったくらいではお浄土にいけない!」と怒って言いました。
●すると、「そうじゃない、そうじゃない。阿弥陀様がね、私たちのために本願48願が出
来上がって“南無阿弥陀仏”と言う名前が出来上がっている。“南無阿弥陀仏”でみんな
救う。厳しい修行は要らない!!“他力の道”です。 あなたみたいに、20年位修行し
てもズーッと迷った方がいたの。その方は親鸞聖人です。」と
法話2
光源寺オンライン法話へようこそお参り下さいました。どうか気を楽にして少しのお時間お付き合い頂ければと思います。

 前回のオンライン法話では、私が中央仏教学院に通っておる時に先生から頂いた、とても印象的な言葉が2つあり、そのうちの1つを紹介させて頂きました。
 今回はもう1つの言葉を通してお話しさせて頂ければと思います。
 それは学院生活も終わりが近づいた頃にご講師の先生から頂いた言葉です。
「みなさんはここ出た後に、お衣を着て、お袈裟を着けて、外を歩くことになると思います。道であった人の中にはあなた達に頭を下げられる方も、もしかしたらおられるかもしれません。ただ、決して勘違いしないで下さい。それはあなたに頭を下げているのではなく、あなたが身に付けているお袈裟、お衣に対して頭を下げて下さっているのです。勘違いしないで下さい。」といった言葉でした。
 この言葉を聞くと、私は思い出す出来事があります。
 それは私がお坊さんにならせて頂く為にお得度を受けようとしている頃でした。そのお得度には願書のようなものが必要になります。その願書には証明写真を貼る箇所がございまして、それがスーツ姿ではなく、お坊さんの姿での証明写真が必要となってくるわけであります。
 私は家から近い証明写真機に車で向かうわけでありますが、まだお坊さんじゃないにも関わらず、お坊さんの格好をして出歩くわけですから、慣れませんし、やはり恥ずかしいんです。
 誰か知り合いにあったらどうしよう、なんて言われるだろうか、なんてことを思っておりました。私は車から降りて証明写真機に入るまで、人目につかない完璧なルートを考え、まるで忍者のようにさっと写真機に滑り込みました。
 そして見慣れない自分の姿が写る、小さな写真を手に入れることに成功しました。
 ミッションはほぼ完了、あとはまた忍者のように車に乗り込むだけです。
 「よし行くぞ」と写真機のカーテンを開けたその時、目の前に知らないお婆さんが立っていて、バチーンと目が合いました。
 そしてお婆さん、私をじーっと見たまま暫く固まっておられたんです。
 そんな中さっと立ち去ることも出来ない私は困惑しながらもそーっと声をかけさせて頂きました。「あの〜、どうかされましたか?」と。
 するとそのお婆さんがこう訪ねてこられました。「すいません、ひとついいですか?この間ウチの猫が亡くなってしまって、そのコのお骨をずーっと家に置いとるんです。これはこのままでも良いんでしょう?やはりどこかに納めた方が良いんですかね?でも他のところ納めるのもまだ少し寂しいんです」と言った質問でありました。
 しかし当時私はお坊さんの格好をしたお坊さんではない人でありますから、困りながらも正直に丁寧に
「すいません、私こんな格好ですけどまだお坊さんじゃぁないんです。だからなんとお答えして良いかわかりませんけれど、お婆さんがしてあげたいようにして下さったら良いんじゃないかなぁと思います。」と答えさせて頂きました。
 きっとその方はずーっと思い悩んでいたのだと思います。そんな中たまたま袈裟衣を着けた私が現れたもんですから、もう聞かずにはいられなかったんでしょう。
 その方は間違いなく私と言う人間ではなく、袈裟衣を見て声をかけられたのだと思います。仮に私がスーツ姿で写真機から出てきた場合、立ち止まることはなかったでしょう。
 お参り先で優しくして下さるご門徒様も、私の背景にある、私には想像もつかない、そのお寺が代々繋げてきた教えや大切なものがあり、そのお陰様の中に私がお参りをさせて頂いておって、だから私のことも大切にして下さっているんだなぁと、ふと思わせて頂きます。だからこそ決して勘違いせず、今まで大切に相続して下さったお念仏の先輩方に恥じぬよう、「有難うございます」と頭を下げながら日々を過ごして頂きたいと、ご講師から頂いた言葉を通して感じさせて頂く、今回のご縁でございました。




 

 



浄土真宗本願寺派
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