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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 6月 法話
法話1
6月のオンライン法要のご縁をいただきお取り次ぎさせていただきます。
先日、興味深いニュースがありました。
約500年後には、日本人の全員の名字が「佐藤さん」になるかもしれないというニュースでした。現在、最も多い名字は「佐藤さん」で全体の1.5%を占めており、結婚や子の誕生によって「佐藤さん」は2022年から23年の1年間で0.83%増えたそうです。毎年この割合で「佐藤さん」が増えると、約500年後の2531年には「佐藤さん」だけになるそうです。
このニュースは、特定の名字しか残らない事に対する良し悪しの話ではなく、夫婦別姓を選ぶ事ができる制度の必要性について考えてもらおうと、東北大学において計算されたというものでした。
私自身、時代の変化や海外の状況にも目を向け、長期的な視点で考えないといけない問題と感じました。しかし、地球の環境が大きく変化していくなかで、そもそも500年先まで人間が生きていく事ができるだろうかとも思いました。
そして、私達が先人達から受け継がれ、心の拠り所としてきた「浄土真宗のみ教え」が、将来、残っていくのか気がかりに感じました。

文化庁が公表している「宗教年鑑」によりますと、令和4年12月末時点において、日本人のうち約4割半の方々が仏教を信仰の対象としており、そのなかで最もご門徒さんの数が多いのは私達の浄土真宗です。私達が属する浄土真宗本願寺派、真宗大谷派など真宗教団十派のご門徒さんが占める割合は、仏教を信仰している方のうち約2割と最も高くなっています。ご門徒さんの数だけを考えた場合に、将来においても「浄土真宗のみ教え」は残っていくでしょうし、もっと視野を広げて考えてみますと、浄土真宗以外の仏教も残っていくでしょう。
しかし、ご自身を「無宗教」と名乗る方も増えているような気がします。様々な調査結果がありますが、日本人の約6割から約7割の方は、信仰している宗教が無いという結果も出ているようです。
宗教年鑑の数値は各宗教法人からの報告から、信仰している宗教についての調査は個人に対しての聞き取りから、それぞれ調査されたものです。相反する結果になっているということは、宗教側と個人側の意識には温度差がある事が分かると思います。
信仰している宗教が無い「無宗教」の方が多くなってくると、最初に申し上げた、日本人全員の名字が「佐藤さん」になるかもしれないというニュースと照らし合わせた場合に、将来の日本において、浄土真宗に限らず、他の仏教、その他の宗教も消滅してしまうおそれを感じます。

信仰している宗教が無いとしたならば「死んだらおしまい」という考えに繋がるような気がします。人がお亡くなりになった場合に、それぞれの宗教で葬儀が執り行われます。宗教による違いはあるかも知れませんが、葬儀は大切な方との別れの意味を教えていただくことができるご縁です。「死んだらおしまい」では「死」に意味がある事を理解できないままになってしまうのではないでしょうか。
仏教では、あらゆるものは常に変化している「諸行無常」という教えがあります。大切な方の死をとおして、命の無常に気付かせていただくことが大切です。
更に「浄土真宗のみ教え」では、阿弥陀様のおはたらきによって信心をめぐまれ、お念仏申す人生を歩み、「死んだらおしまい」ではなく、お浄土に生まれて仏となった後には、私達が生きている迷いの世界に還ってきて、お念仏申すご縁を作っていくのです。

親鸞聖人は『浄土和讃』に

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし

阿弥陀様のおはたらきによってお浄土に往生した人は、たちまちに阿弥陀様と同じさとりを開き、ただお浄土にとどまっているということではなく、この迷いの世界に還ってきて、お釈迦様が人々を教化されたように、煩悩に苦しむすべての人を救いたいと、はたらき続けるのである、と記されています。

大切な方との別れ、「愛別離苦」の悲しみや苦しみの先に「浄土真宗のみ教え」と出遇う事ができた、そして「南無阿弥陀仏」とお念仏を申す身になったことは、お浄土で仏となられた方々が、阿弥陀様と一緒になって、はたららきかけてくださっているからであります。
決して「死んだらおしまい」という事ではありません。
私達は、先人達から受け継がれた「浄土真宗のみ教え」が、将来の方々に引き継いでいくことができるよう、また、自らを「無宗教」とお考えになる方々に対してもお念仏のご縁が広がっていく事を願いながら、共にお念仏を申す毎日を過ごさせていただきたいものです。

法話2
南無阿弥陀仏
皆さん、おはようございます。シアトル別院の楠です。
光源寺にはですね、ひかり子供会という子供会がですね、毎週土曜日に行なわれていますけれども、アメリカのお寺でもこういう子供会というのが盛んにですね活動しております。
アメリカではですね、子供会の事を「ダルマスクール」という風に言います。
シアトル別院では毎週日曜日の10時から始まっているんですけれども、まず、お勤め、本堂にみんな集まってですね、お参りをして、それからご法話があって、その後はですね、各教室のようなクラスルームがお寺にあるんですけれども、年齢ごとに各部屋に移動してですね、今度はそこで、そこのダルマスクールの先生に、仏教の事を教えてもらったりとかですね、何かそのときの行事にまつわるクラフトをしたりしてですね、時間を過ごすというのが、ダルマスクールのプログラムとして毎週日曜日に行われております。
アメリカではですね、よく仏教の教えを紹介する時にですね「ACRONYM(アクロナム)」という、単語の頭文字を取って言葉を作っていうのがあるんですけれども、例えばですね、日本でNHKいうのがありますけれども、NHKっていうのは、頭文字を三つアルファベットを取ったものなんですね。日本放送協会でNHK。そういう感じでですね仏教の教えを伝える時にも、そういう「ACRONYM(アクロナム)」を使って仏教の教えを伝えていく事があります。
仏教の教えでは、私達、凡夫はですね「三毒の煩悩」を持っているんですよっていう風に教えていただきます。「三毒の煩悩」というのは、英語では「Three Poisons(スリーポイズンズ)」という風に言います。
その中の三つの事をですね、こういう風な「ACRONYM(アクロナム)」で紹介するんですね。
「GAS(ガス)」を持っていますよっていう風に紹介します。
「GAS(ガス)」って言うとですね、どういう意味かと言うと、これ「おなら」と言う意味なんですね。なので、この「GAS(ガス)」っていうのをパッと出すと、もう子供達が「フフフッ」とこう笑うようなね、アメリカではよく使われる言葉なんですけれども、ちょっとこれを一つ一つ見て行くとですね、「GAS(ガス)」って言うのは、一番上の「G」と言うのは「Greed(グリード)」、欲望という事ですね。欲望、貪欲。
そして「A」は、「Anger(アンガー)」、怒り、瞋恚。
そして最後の「S」は「Stupidity(ストゥピディティ)」、愚かさ。
この頭文字を取って「GAS(ガス)」っていう風に言います。人間はみんな「三毒の煩悩」を持っているんですよ。こういう「GAS(ガス)」を持って生きてるんですよいう風に説明をお話の中でする事があります。
「GAS(ガス)」が発生すると、まあ、臭いですよね。「GAS(ガス)」が発生すると、人が寄って来なくなってきます。私も家の中でよくおならをするんですけれどもね、妻と子供から「臭い臭い、あっちいけ」っていう風に言われます。「GAS(ガス)」が充満してしまうと、私達の心の中にですね、こういう「三毒の煩悩」の「GAS(ガス)」が充満してしまうとですね、前が見えなくなってしまって、進むべき道が見えなくなってしまいます。
「GAS(ガス)」と言う、こういう「Greed(グリード)【欲望、貪欲】」、「Anger(アンガー)【怒り、瞋恚】」、「Ignorance(イグノランス)【愚痴、無知】」。
「Greed(グリード)【欲望、貪欲】」、「Anger(アンガー)【怒り、瞋恚】」、「Stupidity(ストゥピディティ)【愚かさ】」、この三つの「三毒の煩悩」があるのはですね、人間ですから、凡夫ですから仕方のない事なんですけれども、私達にとって、まずどういう「Greed(グリード)【欲望、貪欲】」、「Anger(アンガー)【怒り、瞋恚】」、「Ignorance(イグノランス)【愚痴、無知】」っていうのを持っているのかな、というのを知る事が大事ですね。
その事を知って、その「GAS(ガス)」に「三毒の煩悩」に振り回されない生き方をしていくというのがお念仏の生き方ではないかなと思っております。浄土真宗のお念仏の道というのは、凡夫が歩ませていただける道です。この「GAS(ガス)」、「三毒の煩悩」を持っているものがですね、歩まさせていただけるのがお念仏の道。
皆さんと共にですね、この「GAS(ガス)」を少しずつ抜きながら、「GAS(ガス)」に振り回されずにですね、皆さんと共にお念仏の道を歩まさせていただきたいと思います。
本日もご拝聴ありがとうございました。
南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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