法話(オンライン法話のテキスト版です)
令和6年 10月 法話
法話1
今月は、「仏前結婚式」について話をさせていただきます。
仏事と言えば、葬式とか年忌法要を思い浮かべられると思いますが、浄土真宗ではいろんな行事が行われています。
・新しい浄土真宗の門徒となる決意を仏前において表明する「入門式」
・はかりしれないご縁をいただいて人として生命を受けたことをよろこび、遇いがたき
仏法のご縁とさせていただく「初参式」
・成人にあたり、人として生まれ育てられた意義を自覚し、仏法を拠り所として共に生
きることを仏前において表明する「成人式」
・各ご家庭にご本尊をお迎えするにあたり行われる「入仏式」
・その他に、「建碑式」「起工式」「上棟式」「定礎式」「竣工式」などがあり、
結婚式も仏前で行えば仏事であります。
結婚式といえば、日本では神前の結婚式が多かったのですが、今ではキリスト教式や人前結婚式、旅先で二人だけで式をあげ後で皆に報告するケースが多いと思われます。
しかし残念なことに仏式は、ごく限られた少数派になるでしょう。
もっとも神式にしてもキリスト教式にしても、宗教的信念に基づいて行われているのかと言えば、そうではないのでは…と思われます。
「○○神を信仰しているので、その神様を祭神している神社において神式で行う」という方は稀でしょうし、キリスト教の信者でない人が教会で式を挙げ、神に誓ったりしています。
なんとなく思ってしまうのですが、結局のところ、結婚するための”形づくり”の式をしているのではないかと思います。
それぞれの式の形態が持つ印象や雰囲気が大事にされ、宗教的内容や宗教的尊厳性は希薄になりがちです。
しかし、結婚式というのは、縁あってめぐりあい結ばれた二人が、新たな人生を歩む出発点となる大切な儀式であります。単なる感覚的な印象や雰囲気ではなく、二人の人生の拠り所となるしっかりとした精神的基盤のもとに執り行ったほうがいいのではないでしょうか。
浄土真宗の仏前結婚式は、二人の人生の共通の拠り所となっていく阿弥陀様の尊前で、お念仏に薫る人生をおくることを誓い表明する儀式です。
けっこう厳かで印象深く、思い出になる結婚式だと思います。
阿弥陀様に合掌・礼拝し、仏前結婚式をさせていただいた身としては、有縁の方々に広めていただき、仏前結婚式がもっとさかんになり、仏事もイメージが変わっていただければと思います。
法話2
ようやく1さいのお誕生を迎えたばかりで、突然亡くなられたお嬢ちゃんのお宅への初盆法要のお参りにお伺いいたしました。 かわいい笑顔の大きな写真がお飾りされ、その周りには彼女が遊んでいたであろうおもちゃや、お人形など、部屋いっぱいに飾られてありました。 お勤めはとても辛いものでありました。 私の後で涙を流しながらお勤めをされるご両親の声が聞こえてまいりました。
お勤めを終え、お話を伺っていると、4才のお兄ちゃんが、「ぼくのこころのなかに、〇〇ちゃんは生きている・・・」と、おにいちゃんは自分の胸を叩いて私に教えてくれました・・・ 後ろに座っておられたご両親は、また涙、涙・・・でありました。
その後お参りしたお宅は、102才でご往生なさったお方の初盆法要でありました。
1歳で突然の死を迎えたお嬢ちゃん、102歳で娘さんのお世話になりながら自宅で一生を終えた方・・・それぞれの人生ドラマがありました。
明日もある、明後日もある、100歳まで頑張る・・・いのちを頂いていることが当たり前、明日もある、明後日もある・・・と思って生活している私に、今しかないいのちですよ!!と教えてくださった方々でありました。
出る息は入る息を待たずして命終わると申します。死と聞くと、まだまだ20年も 30年も先のことだと思います。しかし、命はいつ終わるとも知れません。
朝目が覚めたら、「今日もいのちを頂き、有り難うございます。南無阿弥陀仏」
夜、休む前には、「おかげさまで今日も無事に過ごすことができました。有り難うございます。南無阿弥陀仏」と、お礼を申す生活を改めて気づかせて頂いた尊いご縁でありました。
ある方から、「亡くなった人はお盆にだけ帰ってくるのですか?」と尋ねられました。
亡くなられた方は、いのち終えると共にお浄土に生まれて仏さまとなり、またこの世に還ってきて、有縁の方々といつも一緒にいてくださり、見守ってくださっている仏さまとなっておられるのです。 亡き方々の姿は見えませんが、私たちの血となり、肉となり、骨となってくださり、亡き方々のいのちのバトンを引き継いで、私たちは今、いのちの最前線を歩ませていただいております。
4さいのお兄ちゃんが、「ぼくのこころのなかに、〇〇ちゃんは生きている!!」と、教えてくださったように、亡くなられた方々は、私の心に、身体に引き継がれて生きてくださっています。いつも一緒であります。
人は去っても その人のほほえみは去りません
人は去っても その人の言葉は去りません
人は去っても その人のぬくもりは去りません
人は去っても その人拝む手の中に帰ってまいります
中西智海和上のお言葉であります。 南無阿弥陀仏