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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 12月 法話
法話1

皆様、おはようございます。シアトル別院の楠です。宜しくお願い致します。
今日はですね、私が一番大切にしているご法事の思い出を紹介させて頂きます。
今から約15年位前、私がアメリカに行く少し前の事だったんですけれども、父と母と3人でですね、京都に旅行するっていう事がありました。
長崎から京都行く道すがらですね、間に私の母の自坊がある山口県がありますので、その山口県の自坊・正讃寺に寄って行こうという事になりました。丁度、私のおじいちゃんの命日が近かったものですから、その時は正讃寺へ行って、みんなでおじいちゃんのね、16年目位ですね。15年目、16年目位の祥月命日を、お参りさせて頂こうという事になりました。
その日、本堂にいたのは、お参りに行ったのはですね、私と私の父、母、それから私の叔母、それから私のおばあちゃん、5人だけだったんですね。本堂にみんな座ってですね、私はてっきり父がお経を読んでくれるのかな、あげてくれるのかなと思ってたんですけれども、その時、父がですね「活也君、前に座ってお経をあげて。」と言われたんですね。
私は「えっ」と思いながら、私はその後の旅の事を考えてばかりいましたので、ここでお参りすると思ってなかったのですね、ちょっとびっくりしたんですけれども、「まあ、分かりました。」という事で、前に座って『仏説阿弥陀経』を称えさせて頂きました。
『仏説阿弥陀経』が終わって、「ああ終わった、ヤレヤレ。」思ってですね後ろを振り返ると、ですね、今度、私の父が「活也君、なんか一言。」って言うんですね。
えっと思って何も考えてなかったものですから、ちょっとびっくりしたんですけれども、その時にパッと浮かんだのがですね、私が高校生の時に、おじいちゃん、私のおじいちゃんを訪ねた、一人で訪ねた事があったんですけれども、その時の事を話しました。
ある春休みに、高校生の春休みにおじいちゃん、正讃寺を訪ねてですね、そして帰り際、帰る時にですね、その正讃寺から近くのJRの駅まで、おじいちゃんが車で送ってくれたんですね。それが私にとって最初で最後のふたりで車に乗った、おじいちゃんと2人で車に乗ったっていう経験、思い出でした。その年の9月におじいちゃんは往生した、そういう話をさせて頂きました。
シーンとなってですね、次、父がですね「次、お母さん。」という事で、私の母に振ったんですね。母もびっくりした様子だったんですけれども、少しずつ口を開きました。
「私が高校生で大学入試の時にね、おじいちゃんと一緒に京都に入学試験の為に旅行に行ったのよね。それが私にとって最初で最後のおじいちゃんとの2人旅やった。」という事を話してくれました。そう言いながら、もう母の目から涙がぼろぼろぼろぼろ流れてるんですね。
そして次に父が「じゃあ次、ひとみちゃん。」いう事で私の叔母ですね、母の妹に話を振ったんですね。私の叔母もびっくりした様子だったんですけれども、もう話すときには目に涙がいっぱい溜まっていました。「お父さんは、ひとみの事をいつでも助けてやるけんねって言ったけど、死んでからはいっちょん助けに来てくれん。」そう言いながらですね、私の叔母の目からもぼろぼろぼろぼろ涙がこぼれておりました。
そして次に父が「おばあちゃん、なんかある?」私のおばあちゃんに話をしたんですけれども、おばあちゃんは「私は何もない。」
そして最後に父が「いいご法事やったね。」いう風にして、このご法事が終わったんですね。
これは私にとって、一番大事にしているご法事とは何たるかっていうのを教えてくれた経験なんですけれども、一つ本当に印象に残ってるのは、母が涙を流したのが一つ印象に残っております。もう自分のおじいちゃんが死んで、母のお父さんですね、亡くなって、もう15年位経った後の出来事だったんですけれども、その間、15年位の間、私は母が泣いている姿っていうのは見たことなかったんですね。おじいちゃんの話にこれまでも何度も何度もなりましたけれども、これまで涙をしている姿は、私は見た事なかった、もしかしたら子供の前では見せていなかっただけかも知れませんけれども、私は見てなかったので、心のどこかでですね、もう吹っ切れたのかな、寂しいとか悲しいという思いは無いのかなっていうふうに思っていたんですけれども、そうではなかったですね。
やはり、おじいちゃん。母にとっては父親の存在っていうのは、ずっと心の中にいてくださっていたんですね。
親鸞聖人はご和讃に

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし

というふうにね、教えて下さっております。浄土真宗の教えでは、先に往かれた方々はこの世に戻って来て頂いてですね、還相の菩薩様として私達を導いて下さっているんですよというふうに教えて下さっております。姿、形は見えなくなっても、声が聞こえなくなっても、常に私達のそばにいて下さっている。命と命というのは、今もしっかりと繋がって下さっている。繋がって下さっていたからこそ、私のあの日、母の目から涙が出てきたのではないでしょうか。
死んで終わりじゃない。人として命が尽きても、今度は菩薩として一緒にお念仏の道を歩んで下さる、ちゃんと命は繋がっているよ、この命の縁は無くならないよと教えて下さる。浄土真宗のご法事は、その事を教えて下さる大切なご法縁だったのだと、おじいちゃんのその祥月命日のご法事からですね、教えて頂きました。有難うございました。




法話2

 先日光源寺で、『華道池坊・物故者追悼法要と花供養』のご縁をいただきました。
それで、池坊について調べていましたら、「華道池坊は去る4月15日(土)、華道発祥の地とされる『六角堂』が、来年創建1430年を迎えることを記念し、1年間に生けた花を供養する『六角堂花供養会』を開催し、今年生けた約1億本の花を感謝の気持ちを込めて供養した・・・とありました。
1430年前といえば、飛鳥時代・聖徳太子様の時代までさかのぼることになります。
日本最古の仏教寺院「飛鳥寺」が奈良県明日香村に、1400年前に建立されています。その飛鳥寺には、日本で最も古いお釈迦さまの飛鳥大仏が安置されています。
 華道は6世紀ごろに仏教の供花として始まり、その後武士や貴族の間で発展したようです。 
仏花は仏さまを荘厳し、花のいのちを讃える意味があるのでしょうから、池坊華道は、1430年前から華道が続いているということになりますから、飛鳥寺建立の頃から皆さまが華道を引き継いでいる、ということになるのでしょうか。
改めて華道の歴史を感じさせていただいたご縁でありました。

親鸞聖人の『浄土和讃』に「いちいちの花のなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬ所はさらになし」と、あります。
お浄土には、青・白・黒・赤・紫などの蓮華が咲き乱れ、その蓮華の一つひとつの花からは、無数無量の光をあらゆるところに放って、この光の至り届いていないところはどこにもない・・・とおっしゃっいます。
また、『仏説阿弥陀経』と言うお経に、お浄土には蓮の花が咲いていて、「青い花は青い光を 黄色い花は黄色い光を 赤い花は赤い光を 白い花は白い光を放っていて どの花も美しく その香りも高く 清らかである」 と説いて下さっています。
散歩をしていて、石垣の石と石の間に可憐に咲いている花を見ると、思わず、「あなたすごいねー がんばってるねー きれいねー」と、声が出てくださいます。 華道は、それぞれの違った花を、光り輝かせるお役目をなさっておられるのですね。

振り返って、1400年前は、聖徳太子様の時代であり、今から約40代前の私たちのご先祖様の時代になります。 今から40代前のご先祖の数は、なんと、1兆995億1,162万7,776人だそうです。
ご先祖の姿は見えませんが、ご先祖様が私たちの身体の血となり、肉となり、骨となってこの身体に引き継がれているということであり、そのご先祖さまのいのちのバトンを引き継いで、最前線を歩ませて頂いているということであります。
「朝目が覚めたら、おかげさまで今日も目が覚めました、有り難うございます。南無阿弥陀仏。 夜やすむ前には、お蔭で今日も無事に過ごすことができました、有り難うございます。南無阿弥陀仏」と、お礼を申します。 
「池坊華道物故者追悼法要・花供養」の尊いご縁でありました。 南無阿弥陀仏。





 


浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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