法話(オンライン法話のテキスト版です)
令和7年 4月 法話
4月のオンライン法要のご縁をいただきお取り次ぎさせていただきます。
今から約2500年前、日本がまだ縄文時代であった頃、仏教を開かれたお釈迦様は、インドのルンビーニの花園でシャカ族の王子としてお生まれになられます。
日本ではその日が4月8日と伝えられ、甘茶をお釈迦様の誕生仏にそそぐ「花まつり」が行われ、宗派を問わず全国各地の寺院でお祝いがなされます。
お釈迦様の伝記には「四門出遊(しもんしゅつゆう)」という有名な話があります。お釈迦様が若い頃、お城の外へ出かけた時に、東の門を出て老人に出会い、南の門を出て病人に出会い、西の門を出て死人と出会い、老いること、病気になること、死ぬことの苦しみを考え悩むようになられました。人生に苦しみがあることを知った時に、北の門を出て出家の修行者に出会われ、出家の決意を固められたというお話です。
出家されたお釈迦様は、苦しい修行を続けられますが、しかし6年目に苦行の無意味さを知り苦行をやめられます。そして、スジャータという村娘からの乳がゆの施しによって体力を回復され、35歳の時にブッダガヤ―の菩提樹の下で悟りを開かれ、80歳の入滅まで45年間、不安のなかを生きる人々に対して喩えを駆使しながら説法を続けられました。
35歳の時に、お釈迦様が悟りを開かれた最初の説法を「初転法輪」といわれますが、この時に「人生は苦なり」と説かれました。苦しみとは「自分の思い通りにならないこと」です。お釈迦様の出家の動機は、先にお話した「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の伝記のとおり、生まれることによってもたらせる老病死の自覚であったとされました。それゆえに、仏教では、私たちの根源的な苦しみを「生」「老」「病」「死」の四苦としています。
この四苦に加え、愛する者と別れる苦しみを「愛別離苦」、怨み憎んでいる者と会う苦しみを「怨憎会苦」、求めても得られない苦しみを「求不得苦」、心身の盛んなることからくる苦しみを「五蘊盛苦」、この四つの苦を加えて、四苦八苦といいます
生まれて死に至るまで様々な苦しみが次々と巡ってくるのが私たちの人生と言えるでしょう。しかし、人生には苦しみが次々と巡ってくるなんて説かれてしまうと、人生に楽しみなどなくて、生きる意味が無いように思ってしまうかもしれません。
現代社会が抱える問題に「ストレス」というものがあります。これも苦しみのひとつではないでしょうか。とりわけ、現代社会はストレス社会と言われ、精神的ストレスによって苦しみを抱える人が増えています。自分自身のストレス状況について気づきを得るために、様々なストレスチェックがあります。
アメリカの社会心理学者のホームズらは、日常生活で心理的ストレスを感じる原因の調査を行い数値化してランキングをつけました。この調査に準じ、日本においても精神科の先生方によって、勤労者を対象としたストレス調査票が作成され、結婚を50点として、65の様々なライフイベントを0から100点の間で得点として示されました。
オンライン法話では、このランキングの全てをお伝えすることは難しいのですが、調査票の内容は、多くの自治体や病院などのホームページなどに紹介されていますので、ご興味のある方は、ご覧頂けたらと思います。
このランキングの一部を紹介すると、第1位は「配偶者の死」の83点で、第2位からは70点台が「会社の倒産」「親族の死亡」「離婚」と続きます。大切な方を亡くされた、職場や家庭環境の様々な変化などの、悲しいことや辛いことがランキングの上位の多くを占めているようです。
しかし、喜ばしいことや嬉しいことでもストレスとなるようです。
例えば、ランキング中位の50点台から40点台では「抜擢に伴う配置転換」「結婚」「新しい家族が増える」「妊娠」など、ランキング下位の40点未満では「昇進・昇格」「収入の増加」など、一般的に祝い事となるようなものであっても、本人も気づかないうちにストレスを溜め込んでしまうそうです。
過去1年間の合計点数が、260点以上だとストレスが多い要注意の段階、更に300点を超えると、病気を引き起こす可能性があるほどストレスが溜まっている可能性があるそうです。
この調査票でも明らかですが、結局のところ、私たちは生きている限りストレスという苦しみから逃れることができないようです。そして、私たちの人生における様々なライフイベントの多くが、四苦八苦に結びついているようです。
苦しみとは「自分の思い通りにならないこと」であり、この苦しみこそ、ストレスの原因になっているように思います。しかし、私たちは、物事を自分の都合の良いように理解し、都合の悪いことは受け容れられない、煩悩だらけで自分を中心として物事を考えることしかできない、そのような毎日を送っているのではないでしょうか。
親鸞聖人は『高僧和讃』に、
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
苦しみに満ちた迷いの海はどこまでも果てしなく続いている。その海に長い間沈んでいる私たちを、阿弥陀仏の本願の船だけが、必ず乗せて浄土に渡してくださると、お記し下さいました。
私たちは、生まれたことによって四苦八苦の苦しみから逃れることができず、自らの力によってさとりの世界に到ることができない存在です。そのような私達を、阿弥陀様は「救わずにはおかない」とご本願をおたてになり、「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、はたらきかけて下さっているのです。
そのことをお知らせ下さるために、お釈迦様はお出まし下さったのです。
生活する環境は大きく変わっても、約2500年前のインドの人も現代人も同じような苦しみを抱えながら生きているのです。
苦しみはつきることはありません。しかし、この苦しみをともに背負い、支えていこうとされている阿弥陀様がおられることに気づき、「南無阿弥陀仏」と感謝のお念仏申すことが大切ではないでしょうか。
今から約2500年前、日本がまだ縄文時代であった頃、仏教を開かれたお釈迦様は、インドのルンビーニの花園でシャカ族の王子としてお生まれになられます。
日本ではその日が4月8日と伝えられ、甘茶をお釈迦様の誕生仏にそそぐ「花まつり」が行われ、宗派を問わず全国各地の寺院でお祝いがなされます。
お釈迦様の伝記には「四門出遊(しもんしゅつゆう)」という有名な話があります。お釈迦様が若い頃、お城の外へ出かけた時に、東の門を出て老人に出会い、南の門を出て病人に出会い、西の門を出て死人と出会い、老いること、病気になること、死ぬことの苦しみを考え悩むようになられました。人生に苦しみがあることを知った時に、北の門を出て出家の修行者に出会われ、出家の決意を固められたというお話です。
出家されたお釈迦様は、苦しい修行を続けられますが、しかし6年目に苦行の無意味さを知り苦行をやめられます。そして、スジャータという村娘からの乳がゆの施しによって体力を回復され、35歳の時にブッダガヤ―の菩提樹の下で悟りを開かれ、80歳の入滅まで45年間、不安のなかを生きる人々に対して喩えを駆使しながら説法を続けられました。
35歳の時に、お釈迦様が悟りを開かれた最初の説法を「初転法輪」といわれますが、この時に「人生は苦なり」と説かれました。苦しみとは「自分の思い通りにならないこと」です。お釈迦様の出家の動機は、先にお話した「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の伝記のとおり、生まれることによってもたらせる老病死の自覚であったとされました。それゆえに、仏教では、私たちの根源的な苦しみを「生」「老」「病」「死」の四苦としています。
この四苦に加え、愛する者と別れる苦しみを「愛別離苦」、怨み憎んでいる者と会う苦しみを「怨憎会苦」、求めても得られない苦しみを「求不得苦」、心身の盛んなることからくる苦しみを「五蘊盛苦」、この四つの苦を加えて、四苦八苦といいます
生まれて死に至るまで様々な苦しみが次々と巡ってくるのが私たちの人生と言えるでしょう。しかし、人生には苦しみが次々と巡ってくるなんて説かれてしまうと、人生に楽しみなどなくて、生きる意味が無いように思ってしまうかもしれません。
現代社会が抱える問題に「ストレス」というものがあります。これも苦しみのひとつではないでしょうか。とりわけ、現代社会はストレス社会と言われ、精神的ストレスによって苦しみを抱える人が増えています。自分自身のストレス状況について気づきを得るために、様々なストレスチェックがあります。
アメリカの社会心理学者のホームズらは、日常生活で心理的ストレスを感じる原因の調査を行い数値化してランキングをつけました。この調査に準じ、日本においても精神科の先生方によって、勤労者を対象としたストレス調査票が作成され、結婚を50点として、65の様々なライフイベントを0から100点の間で得点として示されました。
オンライン法話では、このランキングの全てをお伝えすることは難しいのですが、調査票の内容は、多くの自治体や病院などのホームページなどに紹介されていますので、ご興味のある方は、ご覧頂けたらと思います。
このランキングの一部を紹介すると、第1位は「配偶者の死」の83点で、第2位からは70点台が「会社の倒産」「親族の死亡」「離婚」と続きます。大切な方を亡くされた、職場や家庭環境の様々な変化などの、悲しいことや辛いことがランキングの上位の多くを占めているようです。
しかし、喜ばしいことや嬉しいことでもストレスとなるようです。
例えば、ランキング中位の50点台から40点台では「抜擢に伴う配置転換」「結婚」「新しい家族が増える」「妊娠」など、ランキング下位の40点未満では「昇進・昇格」「収入の増加」など、一般的に祝い事となるようなものであっても、本人も気づかないうちにストレスを溜め込んでしまうそうです。
過去1年間の合計点数が、260点以上だとストレスが多い要注意の段階、更に300点を超えると、病気を引き起こす可能性があるほどストレスが溜まっている可能性があるそうです。
この調査票でも明らかですが、結局のところ、私たちは生きている限りストレスという苦しみから逃れることができないようです。そして、私たちの人生における様々なライフイベントの多くが、四苦八苦に結びついているようです。
苦しみとは「自分の思い通りにならないこと」であり、この苦しみこそ、ストレスの原因になっているように思います。しかし、私たちは、物事を自分の都合の良いように理解し、都合の悪いことは受け容れられない、煩悩だらけで自分を中心として物事を考えることしかできない、そのような毎日を送っているのではないでしょうか。
親鸞聖人は『高僧和讃』に、
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
苦しみに満ちた迷いの海はどこまでも果てしなく続いている。その海に長い間沈んでいる私たちを、阿弥陀仏の本願の船だけが、必ず乗せて浄土に渡してくださると、お記し下さいました。
私たちは、生まれたことによって四苦八苦の苦しみから逃れることができず、自らの力によってさとりの世界に到ることができない存在です。そのような私達を、阿弥陀様は「救わずにはおかない」とご本願をおたてになり、「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、はたらきかけて下さっているのです。
そのことをお知らせ下さるために、お釈迦様はお出まし下さったのです。
生活する環境は大きく変わっても、約2500年前のインドの人も現代人も同じような苦しみを抱えながら生きているのです。
苦しみはつきることはありません。しかし、この苦しみをともに背負い、支えていこうとされている阿弥陀様がおられることに気づき、「南無阿弥陀仏」と感謝のお念仏申すことが大切ではないでしょうか。