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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和7年 7月 法話
今月は「年忌法要」について話をさせていただきます。

 法事は、仏事とも言います。縁ある人々が集まって、阿弥陀様を敬い、その本願のおはたらきであるお念仏のいわれを聞き、ともに阿弥陀様のおはたらきによってお浄土に往き、仏として生まれ、お互いが仏として、また出遇えるお念仏の人生を歩むことを確認しあう集いです。
 
 私たちが行う法事といえば、亡き人の命日をご縁に勤める「年忌法要(年回法要)」でしょう。また、葬儀・満中陰なども仏法の集いですから法事です。



 その「年忌法要」は、いつ勤めればいいのでしょうか。
まず、亡くなって1年後の命日が一周忌です。2年後が三回忌、6年後が七回忌、12年後が十三回忌、16年後が十七回忌、24年後が二十五回忌、32年後が三十三回忌、49年後が五十回忌と続き、その後50年ごとになります。
 地域によっては、二十五回忌を二十三回忌と二十七回忌にわけて勤めるところもあるようです。

 一周忌とは字の通り、亡くなった日から年が一回りしたということですので、亡くなって1年後に勤めます。また三回忌・七回忌などは三回目・七回目の命日ということですので、亡くなった日を一回目と数え、1年後は二回目の命日(一周忌)、2年後は三回目の命日で三回忌となります。
 三回忌以降は、法要の年数から1年ひいた年になると覚えておけばいいと思います。



 「年忌法要」を勤めるのに、亡き人をご縁に勤めることから、<亡き人のため>に行う・追善供養と思われがちです。
 亡き人のために私たちが法事を行って善を積み、その功徳を亡き人に向けて、少しでも良い世界に生まれてもらおうという考えです。

 しかし、浄土真宗のみ教えのもとでは、亡き人は阿弥陀様のおはたらきによってすでにお浄土に往き、仏として生まれられてますから、こちらから善を向ける必要はありません。
 法事はあくまでも、亡き人をご縁として参拝する一人ひとりの<私のため>に催される集いなのです。



「年忌法要」を、阿弥陀様のおはたらきによってお浄土に往き、仏として生まれられた亡き人を偲び、その本願のおはたらきであるお念仏のいわれを聞き、亡き人から「いつでも・どこでも・どんなことがあっても、見放されない阿弥陀様を依りどころとして、今の命を大切に歩んでください。そして、また浄土で会いましょうね」と願われていることを聞き、ともに阿弥陀様のおはたらきによってお浄土に往き、仏として生まれ、お互いが仏として、また出遇えることを聞かせていただく仏縁として大切にお勤めしていただきたいものです。


 


浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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