法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和7年 9月 法話
2023年12月31日午後11時ごろでした。シアトル別院が放火あいました。そのため、2024年は丸一年、お寺の本堂を使用することはできませんでした。9月からようやくお寺の一部、体育館を使用できるようになり、今もそこでお参りをさせていただいています。火事の後、近くのお寺やコミュニティーホールなどでお葬式やお参りをさせていただいています。日本からも多くの方に励ましのお言葉をご寄付をいただきました。皆様のご協力に感謝です。2025年の春ごろには、本堂が使えるようになると思います。待ち遠しいですね。
ある日、近くのお寺、ホワイトリバー仏教会でお葬式をさせていただいた時でした。家を出発して間もなく、お葬式用のお経本を家に忘れ来て来たことに気づきました。高速道路を引き返し、慌てて取りに戻りました。その翌日、二世ベテランズホールでサンデーサービスがありました。その時は準備してあったプログラムを家に置き忘れ、その日も、慌てて取りに帰りました。また、別のお寺、タコマ仏教会でお参りさせていただいた時には、白衣をしめる白帯を忘れてしまいました。人にはわからないように袴のひもで白衣をしっかりしめて、その場をやり過ごしました。お経本も、白帯も、プログラムもいつもお寺の中にありました。ですから、シアトル別院でお葬式やお参りが行われていた時は、それらを忘れるということはありませんでした。お参りの場所が変わったことで、自分の注意力のなさが露見してしまいました。
火事以降、お寺のお参りや行事、ミーティングなどを計画しようとするときに、まずは、場所探しから始めなくてはいけません。それぞれの場所が何時から何時まで使えるのか、何人くらい入るのか、使用するにあたってのガイドラインは、セキュリティーアラームの解除の方法は、最後は誰が鍵を閉めるのか、などを一つ一つ確認する必要があります。お寺が使えれば、こんなこといちいち考える必要なかったのにな、と思うことがあります。思えば、火事以前は、“お寺の建物は古くて、暗いな”“建物がごちゃごちゃしてわかりずらいな”“階段が多いな”など建物に対する不平不満が多く出ており、そこにお寺があってくれることに対する感謝の言葉は出てきていませんでした。お寺を使えなくなって初めて、そのありがたさに気づかされています。いつもの時間にいつもの場所で、当たり前のようにみんなと会えるというのは、素晴らしいことですね。
浄土真宗のお念仏の行者が一堂に会する場所といえば、極楽浄土です。極楽浄土の様子が書かれた仏説阿弥陀経には、このように書かれています。
“舎利弗よ、このようなお浄土のありさまを聞いたらならぜひともその国に生まれたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができるからである。”
「倶会一処」という教えが書かれているところです。私たちお念仏の行者は、この娑婆の縁が尽きたとき、極楽浄土に生まれさせていただきます。そこは、様々な聖者、先に仏となられた方々と、集うことができる世界です。「死んだ後の世界なんてどうでもいい。」「浄土に生まれるなんて遠い先の話で、今の自分には関係ない。」「浄土なんてただのファンタジーだ。」そうことを時々耳にします。いのちを短絡的にとらえず、もう少し、このいのちとは何なのかを、しっかり見つめていく必要があるように思います。
わたしたちは、「独り生まれ独り死に、独り来りて独り去る」そいういのちを生きています。そしてそのいのちは今日終わるかもしれません。死なんて遠い先のことだと思っていたはずが、今ここに起こる可能性があります。そこに気づくことができず、または、目を背けながら生きているのが私です。そのいのちの集合場所をお浄土に定めてくださったのが阿弥陀仏です。わたしのいのちがいつどこで終わろうと、当たり前のようにみんなと集うことができる倶会一処のお浄土を建立してくださいました。お浄土はなくなったり、一時閉門したりすることはありません。常にオープン、ウェルカムです。そのお浄土を常にこの心に据えてこのうつろい変わりゆくいのちを一日一日、生かさせていただきます。
合掌



浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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