法話(オンライン法話のテキスト版です)
令和7年 11月 法話
今月は、浄土真宗における帰依の経典である『浄土三部経』について話をさせていただきます。
『浄土三部経』とは、浄土真宗における帰依、依りどころとする経典である『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』の三つのお経を指して称するもので、『浄土三部経』という名のお経ではありません。
『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』、全て阿弥陀様が私を助ける教え・お念仏のみ教えが説かれてあるお経であります。
それぞれの内容を簡単に説明しますと、
●『仏説無量寿経』の
・「四十八願」によって、すべての衆生を救う為に、無量光寿の仏となり、南無阿弥陀仏の六字の名号となりて、いつでも・どこでも・誰にでも到り届き、はたらきかけ、浄土へ仏として生まれさせようと誓われ、
・「成就文」によって、光明と名号をもって、はたらきかけ、私達が名号を聞いて、お念仏申し・よろこぶ者に育て、必ず浄土へ仏と生まれさせることを完成された
事が説かれ、
●『仏説観無量寿経』の
・「なんぢはこれ凡夫なり…」によって、お念仏のお救いの目当ては、凡夫である私達こそが目当ての真ん真ん中であり、
・「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と、阿弥陀様のみ名を信じ、そのみ名・お念仏を称えよとすすめられ、
●『仏説阿弥陀経』
・「倶会一処」によって、お念仏に包まれたものは、ともに一つの処・お浄土に往き、仏として生まれ、再び出会うことができ、
・「六方段」によって、六方の数限りない仏さま方々が、間違いないと証明してくださり、その仏さま方々がお護りくださるお念仏の道を歩みなさいとおすすめ下さっている。
と言うことが説かれてあります。
つまり『浄土三部経』で、阿弥陀様は、すべての衆生を救う為に「南無阿弥陀仏」のお念仏によって救うと誓われ、成就・完成し、「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏さまとなられ、その阿弥陀様のお救いの目当ては、どうすることもできない凡夫である私達であることが示され、その凡夫である私達が、阿弥陀様のおはたらきによって、ともにお浄土に往き仏として生まれることを六方の仏さま方々が、間違いないと証明してくださり、お念仏の道を歩みなさいとおすすめ下さっている と言うことが説かれてあります。
有名なお経といえば、『般若心経』を思い浮かべるのでは、ないでしょうか?
しかし、浄土真宗では『般若心経』はお勤めしません。何故『般若心経』をお勤めしないかといいますと、『般若心経』で説かれている教えは素晴らしい教えであっても、その教えを私たちが行じれるか…という点です。
『般若心経』の最後に、「掲帝掲帝、般羅掲帝、般羅僧掲帝、菩提僧莎訶」とあります。
訳すと、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」ということです。
自らの力で「往ける者」ならいいでしょうが、「往けない者」はどうなるのでしょうか?
親鸞聖人は、自らを含め私たちの姿を「煩悩に束縛され、自らの欲望によって自らが苦しみ、どうすることもできない凡夫・往けない者」であると見られました。
阿弥陀様は、その「凡夫・往けない者」をほってはおけないと救いの目当てとされ、立ち上がり「南無阿弥陀仏」とおはたらきかけ下さる仏様となって下さった事が、『浄土三部経』に説かれてあります。
そのおはたらきが立像・立ち上がって下さったお姿として、あらわれて下さっています。
『浄土三部経』をお勤めさせていただく中に、阿弥陀様が「ほってはおかん。私にまかせよ。」と立ち上がって下さり・「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏様となられたのは、この私の為であったとお聞かせていただき、その阿弥陀様のおはたらきによって、ともに浄土に往き、互いに仏として会う身であったとお念仏申し・よろこばせていただく日々を歩ませていただきたいものです。

