法話(オンライン法話のテキスト版です)
令和8年 1月 法話
令和8年となりました。
今年は、戦後81年。そして昭和101年。日本が大きく変わる最初の年になるのかもしれません。
さて、今から1200年程昔の話です。中国・唐の国に白楽天という詩人がいました。あるとき、白楽天は道林というお坊さんに仏の教えとは何かと尋ねました。
道林は「諸悪莫作(しょあくまくさ」 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」
と七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)の言葉を示されました。
諸々の悪いことをなさず、善いことを行い、自らの心を浄めること、これが諸仏の教えであると言うのです。
白楽天が「そんなことは3才の子どもでも知っている」と言うと、道林は「3才の子どもでも知っているが、80才の老人でも実行はできない」と答えたそうです。
誰もが善・悪の道理はよく分かっているつもりでいます。しかし、今だけ・金だけ・自分だけという目先のことに振り回されて生きているのがこの私の姿です。自分の都合だらけの私には善行を行い続けることは難く、気がつかないうちに悪行を行っていたということもあります。いいかえれば、善いことをする縁がととのっていれば善行を行えるし、縁によっては悪い行いをしてしまうのが私の姿です。
親鸞聖人は「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(「そうなるべき縁がもよおすならば、どのような振る舞いでもしてしまうのがわたしです」)と仰いました。そこに人生の悩みと苦しみが生まれてきます。
阿弥陀如来はその私を哀れみ、悲しまれ、苦労に苦労を重ね、思案に思案を巡らし、南無阿弥陀仏のお念仏をお与えくださいました。
合掌しお念仏申していると、苦しみがなくなるのでありません。悩みがなくなるのでもありません。しかし、苦しみのそのままに日日を歩むことができます。
阿弥陀如来は、悩み苦しんでいるこの私を、そのまま抱きとめて、決して捨てることはありません。苦しみ悩む人生も、阿弥陀如来のお慈悲に出あわせていただくとき、もはや苦悩のままではありません。阿弥陀如来に抱かれて人生を歩み、悟りの世界へ導かれていくことになります。
南無阿弥陀仏
今年は、戦後81年。そして昭和101年。日本が大きく変わる最初の年になるのかもしれません。
さて、今から1200年程昔の話です。中国・唐の国に白楽天という詩人がいました。あるとき、白楽天は道林というお坊さんに仏の教えとは何かと尋ねました。
道林は「諸悪莫作(しょあくまくさ」 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」
と七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)の言葉を示されました。
諸々の悪いことをなさず、善いことを行い、自らの心を浄めること、これが諸仏の教えであると言うのです。
白楽天が「そんなことは3才の子どもでも知っている」と言うと、道林は「3才の子どもでも知っているが、80才の老人でも実行はできない」と答えたそうです。
誰もが善・悪の道理はよく分かっているつもりでいます。しかし、今だけ・金だけ・自分だけという目先のことに振り回されて生きているのがこの私の姿です。自分の都合だらけの私には善行を行い続けることは難く、気がつかないうちに悪行を行っていたということもあります。いいかえれば、善いことをする縁がととのっていれば善行を行えるし、縁によっては悪い行いをしてしまうのが私の姿です。
親鸞聖人は「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(「そうなるべき縁がもよおすならば、どのような振る舞いでもしてしまうのがわたしです」)と仰いました。そこに人生の悩みと苦しみが生まれてきます。
阿弥陀如来はその私を哀れみ、悲しまれ、苦労に苦労を重ね、思案に思案を巡らし、南無阿弥陀仏のお念仏をお与えくださいました。
合掌しお念仏申していると、苦しみがなくなるのでありません。悩みがなくなるのでもありません。しかし、苦しみのそのままに日日を歩むことができます。
阿弥陀如来は、悩み苦しんでいるこの私を、そのまま抱きとめて、決して捨てることはありません。苦しみ悩む人生も、阿弥陀如来のお慈悲に出あわせていただくとき、もはや苦悩のままではありません。阿弥陀如来に抱かれて人生を歩み、悟りの世界へ導かれていくことになります。
南無阿弥陀仏

