法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和8年 3月 法話

2026年3月 オンライン法話
    
3月のオンライン法要のご縁をいただきお取り次ぎさせていただきます。
私達は、毎日を慌ただしく過ごしていると、死に往く「いのち」を歩んでいる事を忘れてしまいがちです。また、死から逃れられないとわかっていながらも、その事から目を背けながら生きているのが実際のところではないでしょうか。特にお若い世代の方は、老いていく事でやがて死を迎えると思うけれども、若いうちは死とは関係がないとの思いがあるのではないでしょうか。
私自身も、四六時中、死を意識して生きていますかと問われますと、日頃の慌ただしさを理由に、その事を忘れながら生きているような気がします。

浄土真宗本願寺派のお作法として、おつとめの最後に八代目のご門主である蓮如上人が書かれた『御文章』を拝読させて頂きますが、葬儀やご法事の際には、『御文章』の中でも有名な「白骨章」を拝読させて頂く事があります。
「白骨章」の最後は、「されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、たれの人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。」と締めくくられています。人の「いのち」のはかなさは年齢を問いません。だからこそ年齢に関わらず、誰もが一時も早く後生の一大事に気づいて、阿弥陀仏を深くたのみとして、念仏を申す身となることが大切なのです、という意味です。
しかし、この現代社会において、人の「いのち」には定めがなく、老人も子どももいつ死ぬかわからない「老少不定」の現実を身近に感じる機会は、時代の変化によって少なくなったように思います。

政府が日本における死亡者の統計を出しておりますが、大正から昭和戦前期にかけては、1年間あたりの死亡数は約140万人から約120万人、1年間のうちに人口10万人あたり何人死亡したかで表される死亡率は約2%で推移していたそうです。そのなかで、14歳までの子供でお亡くなりになられたのは、死亡者全体のうちの約40%をも占めていたようです。
死亡率については、戦後は医学の進歩や衛生環境の向上などによって徐々に低下していき、1960年代には、死亡者数は約70万人、死亡率は地域によって違いは生じますが、全国平均は約0.7%、死亡者全体のうち14歳までの子供の死亡率は約1%になっています。
そして、2024年の死亡者数は約161万人、死亡率は約1.3%、14歳までの子供の死亡率は0.16%になっており、大正から昭和戦前期の水準に比べると大きく低下しています。
100年程前の日本では、14歳までのお子様が亡くなった割合からもわかるように、現代に比べて日常生活のなかに死が身近にあった時代であり、死には老いも若きも関係がない「老少不定」であるという事に気づく機会も多かったのではないかと思います。
しかし、現代を生きる私達は、死というのは年老いたその先にあると思いがちではないでしょうか。時代の変化によって、自宅での看取りが少なくなり死を目の当たりにする機会は減っていますし、葬儀などの簡略化によって意識から死が遠くなってしまっている、そのような方が多いように感じます。
もちろん「老少不定」の身であると意識しながら日々を過ごされている方もおられると思います。幼いお子様を亡くされ辛く悲しい経験と向き合ったご家族もおられますし、世界に目を向けると、先進国に比べて開発途上国の乳児死亡率は高い状況にあるなど、強く心に留めておくべき事があります。しかし、多くの方々は、大切な方を亡くしてしまった現実を目の当たりにした時に、冷静な気持ちを保つ事はできないのではないでしょうか。

そのような私達が、亡くなった方を偲ばせていただくなかで「老少不定」の身であることに気づき、大切な方との別れをご縁として、全ての生きとし生けるものを平等に救いたいという阿弥陀様の願いを聞かせていただき、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申す身になったのは、お浄土で仏様となられた亡くなった方が、阿弥陀様と一緒に、はたららきかけて下さっているからです。
亡き方が作って下さったお念仏のご縁をとおして、私達の命の姿に気づかされるなかに、大切な方を亡くす悲しみや苦しみには大切な意味があると気づかせていただき、阿弥陀様のご恩に報いながら感謝のお念仏を申す毎日を歩みたいものであります。


浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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