法話

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令和8年 5月 法話 「祇園精舎」 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」
ご存じ平家物語の冒頭の一節です。学校の授業で耳にしたことがあるとという方も多いかと思います。
 さて、この「祇園精舎」はインドに実在した仏教の僧院です。正式名称を「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」と言い、略して「祇園精舎」といいます。
 
 2500年も昔、お釈迦様がご在世のころ、舎衛国という国にスダッタという長者がいました。スダッタは貧しい人に施しをしたことでも有名で「孤独の人に食をよく施した長者」という意味で「給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)」とも呼ばれていました。
 あるときスダッタは隣国でお釈迦様のお説法を聴き、わが国・舎衛国にも招きたいと考えました。そのために、お釈迦様とそのお弟子の方々をお迎えする場所をお釈迦さまに寄進しようと思い立ちました。
 首都から近からず、遠からず、修行に適した地。ようやく見つけたその場所は、ジェータの園と呼ばれる、その国の太子が所有していた庭園でした。近年の発掘によるとその広さは19170坪ほどあったそうで、よく例えられる言い方をすると東京ドームの1.3倍という広大な土地だったそうです。
 さて、さっそくジェータ太子にその土地の寄進の話をすると、太子は「その庭園に金貨を敷き詰めることができた広さだけ分け与えよう」と答えたそうです。
 その日からスダッタは毎日のように金貨を庭園に敷き詰めました。ようやく入口の一部を敷き詰めたところで金貨がなくなったそうです。するとスダッタは財宝も家財もすべて金貨に変え、その金貨を敷き詰めはじめました。
 その姿に心打たれた太子は、庭園すべてを寄進し、仏教に帰依したそうです。
ジェータ太子は漢字で「祇陀太子」と訳され、その庭園をジェーダ太子の庭園という意味で「祇園」とか「祇樹」と訳されました。
 こうして完成した僧院はジェーダ太子とスダッタの名前から、「祇樹給孤独園」、略して「祇園精舎」と呼ばれるようになりました。

お釈迦様は45年に及ぶ伝道の旅の間、何度も祇園精舎を訪れ、仏のみ教えを説かれたそうです。いつもお勤めしている『仏説阿弥陀経』もお釈迦様が祇園精舎で説かれたお経です。
『仏説阿弥陀経』は「釈迦一代の結経」とも言われ、お釈迦様がその生涯を通して、本当に伝えたかった結びのお経と言われています。お釈迦様が祇園精舎で『仏説阿弥陀経』を説かれたのも、結びの経を説くのみにふさわしい地と思われたからかもしれません。
『仏説阿弥陀経』には南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えが説かれています。この私がこのままで救われていくお慈悲のみ教えです。
ジェーダ太子とスダッタが結んでくださったご縁でもあります。大切にいただいてまいりましょう。
浄土真宗本願寺派
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