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活動報告

聖徳太子1400回忌法要
2021-04-22
光源寺のご本尊、阿弥陀如来さま。その阿弥陀如来さまの左横にかけられている一幅のお掛け軸。
このお掛け軸に描かれているのが聖徳太子です。
飛鳥時代の622年に薨去され、令和3年は聖徳太子の1400回忌の年に当たります。

コロナ渦の中で迎えたこのご縁。本来なら門信徒の皆様にもご案内を出しての法要をとも考えていましたが、この度は自粛。

新暦でのご命日である4月12日の日曜礼拝、そして4月16日の婦人会の例会で、特別法要をお勤めしました。

私達がよく知っている聖徳太子のお姿は、昭和の頃のお札に使われていた肖像画(7種類のお札に描かれていたそうです)「太子摂政象」といわれるお姿です。政治家として、日本初の女帝推古天皇を摂政として補佐したお姿です。
お寺に掛かっている聖徳太子の掛け軸は、「聖徳太子孝養象」といわれる絵相です。これは、聖徳太子が、16才のとき三宝を供養して父親である用明天皇の病気平癒を祈願されているお姿。
髪を美豆良(みずら)に結い、袍の上に袈裟を着け、沓を履き、柄香炉(えごうろ)を持って立っているというお姿です。

仏の教えを大切にされ、世の乱れる原因が人々の心に潜む自己中心的な考えにあるとし、仏の教えによってそれを鎮め、安定した国家の形成を目指されました。



親鸞聖人も聖徳太子を「和国の教主」として大切にされていました。
29歳のとき、聖徳太子によって創建された京都の六角堂に100日間参詣し、その95日目に聖徳太子が現れて道をお示しになったと言われています。
親鸞聖人は「世間虚仮 唯物是真」という聖徳太子のお言葉を
「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」
と、歎異抄を通して私達に伝えたくださっています。

また、聖徳太子は『憲法十七条』で
「人皆な心有り、心に各おのおの執るところ有り。
彼れ是ぜなれば則ち我れ非なり、我れ是なれば則ち彼れ非なり。
我れ必ずしも聖に非ず、彼れ必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫のみ。」
と日本で初めて「凡夫」という言葉をお使いになられました。
人間は共に凡夫の存在であるので、仏・法・僧に帰依し、平和な社会、心豊かな社会の実現に向かうべく佛道をしめされました。

今、日本に和の心があるのは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」のおかげさまであります。
この1400回忌法要をご縁に、私達に受け継がれている合掌の心を大切にちょうだいしていきたいものです。



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