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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和4年 4月 法話
法話1
 今月は、『浄土三部経』について話をさせていただきます。

 『浄土三部経』とは、浄土真宗における帰依(依りどころとする)の経典である『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』の三つのお経を指して称するもので、『浄土三部経』という名のお経ではありません。
 『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』、全て阿弥陀様が私を助ける教え・お念仏のみ教えが説かれてあるお経であります。



 それぞれの内容を簡単に説明しますと、

●『仏説無量寿経』の
  ・「四十八願」によって、すべての衆生を救う為に、無量光寿の仏となり、南無阿弥陀仏の六字の名号となりて、いつでも・どこでも・誰にでも到り届き、はたらきかけ、浄土へ仏として生まれさせようと誓われ、
  ・「成就文」によって、光明と名号をもって、はたらきかけ、私達が名号を聞いて、お念仏申し・よろこぶ者に育て、必ず浄土へ仏と生まれさせることを完成された 
 事が説かれ、

●『仏説観無量寿経』の
  ・「なんぢはこれ凡夫なり…」によって、お念仏のお救いの目当ては、凡夫である私達こそが目当ての真ん真ん中であり、
・「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と、阿弥陀様のみ名を信じ、そのみ名・お念仏を称えよとすすめられ、

●『仏説阿弥陀経』
・「倶会一処」によって、お念仏に包まれたものは、ともにお浄土に往き仏として生まれ、再びお出遇いすることができ、
・「六方段」によって、六方の数限りない仏さま方々が、間違いないと証明してくださり、その仏さま方々がお護りくださるお念仏の道を歩みなさいとおすすめ下さっている。

と言うことが説かれてあります。

 つまり『浄土三部経』で、阿弥陀様は、すべての衆生を救う為に「南無阿弥陀仏」のお念仏によって救うと誓われ、成就・完成し、「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏さまとなられ、その阿弥陀様のお救いの目当ては、どうすることもできない凡夫である私達であることが示され、その凡夫である私達が、阿弥陀様のおはたらきによって、ともにお浄土に仏として往き生まれことを六方の仏さま方々が、間違いないと証明してくださり、お念仏の道を歩みなさいとおすすめ下さっている と言うことが説かれてあります。



 有名なお経といえば、『般若心経』を思い浮かべるのでは、ないでしょうか?
しかし、浄土真宗では『般若心経』はお勤めしません。何故『般若心経』をお勤めしないかといいますと、『般若心経』で説かれている教えは素晴らしい教えであっても、その教えを私たちが行じれるか…という点です。

 『般若心経』の最後に、「掲帝掲帝、般羅掲帝、般羅僧掲帝、菩提僧莎訶」とあります。
 訳すと、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」ということです。
 自らの力で「往ける者」ならいいでしょうが、「往けない者」はどうなるのでしょうか?



 親鸞聖人は、自らを含め私たちの姿を「煩悩に束縛され、自らの欲望によって自らが苦しみ、どうすることもできない凡夫・往けない者」であると見られました。

 阿弥陀様は、その「凡夫・往けない者」をほってはおけないと救いの目当てとされ、立ち上がり「南無阿弥陀仏」とおはたらきかけ下さる仏様となって下さった事が、『浄土三部経』に説かれてあります。
 そのおはたらきが立像・立ち上がって下さったお姿として、あらわれて下さっています。

 『浄土三部経』をお勤めさせていただく中に、阿弥陀様が「ほってはおかん。私にまかせよ。」と立ち上がって下さり・「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏様となられたのは、この私の為であったとお聞かせていただき、お念仏申し・よろこばせていただく日々を歩ませていただきたいものです。


法話2
4月のオンライン法要のご縁をいただきお取り次ぎさせていただきます。
今から2,500年程前の4月8日、インドのルンビーニの花園で、お釈迦様はお誕生されたと言われております。
毎年4月8日には、全国各地の寺院や地域の行事として、お釈迦様のお誕生をお祝いする「花まつり」が行われ、花御堂を設けて、お釈迦様のお誕生仏をご安置し、甘茶をそそいでお祝いをします。
お釈迦様はインドの釈迦族の王子として生まれました。生まれるとすぐに七歩歩いて、右手で天を、左手で地を指さして、
「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」と高らかに叫ばれました。
この言葉は、「私のいのちは、天にも地にも、この世にたった一つしかない、かけがえのない、尊いいのちである」という意味であり、すべてのいのちの尊さを教えて下さった大切なお言葉です。
お釈迦様が若い頃、城の外へ遊びに出かけた時に、東の門を出て老人に会い、南の門を出て病人に会い、西の門を出て死人に会ったことにより、老いること、病気になること、死ぬことの苦しみを考え悩むようになられました。そのような時に、北の門を出て出家した修行者に出会って、 出家への決意を固めらえたとして語られる「四門出遊(しもんしゅつゆう)」というお話があります。
このお話しは、お釈迦様が人生の根本苦である生老病死の四苦を解決するために出家されたというという事を表しています。
お釈迦様は、この世は「一切皆苦」、すなわち「世の中の全ては苦しみである」と説かれました。あらゆることが苦しみ、自分の思い通りにならないと仰いました。
「世の中の全ては苦しみ」、何もかもが上手くいかない時には、まさにそのとおりだと受け止める事ができるのかも知れません。
ですが、あらゆる物事が上手く進んでいる時に、「全ては苦しみ」なんて聞くと、夢も希望もない言葉に聞こえますし、何もそんな悲観的にならなくてもと思ってしまいます。
しかし、この世は諸行無常、常に移り変わっていく世界であり、永遠に物事が上手く進むなんてありません。必ずどこかで苦しみに向き合う事になります。
私自身の毎日を振り返ってみても、今日は、何もかも上手く事が進んで楽しくて充実した日だった、そのような気持ちで一日を終えた事よりも、思ったように事が進まなかったなあとか、ああしておけば良かった、こうしておけば良かった、思い通りに物事が進まなかった事に対して苦しんでいる時の方が多いと思います。
また、私は、今年で4回目の年男を迎えております。48年間を振り返ってみて、勿論、楽しい事、嬉しい事もありましたが、どちらかというと、辛かった事、苦しかった事、悲しかった事など、マイナス面の記憶の方が、プラス面の記憶に比べて、より多く思い出してしまうような気がします。
そして、これから先は、老いていき、そして病気にかかり、やがては命を終えていくのでしょうが、そのような現実を受け入れる準備ができているのかと言われると、決してそうではないような気もします。
親鸞聖人は、『正信偈』の中で、

 『如来所以興出世 唯説弥陀本願海』

と、記されました。
お釈迦様がこの世にお出まし下さったのは、ただ阿弥陀様の本願のいわれを説くためでしたという意味です。
私達は生まれた事によって、苦しみから逃れることができない、そのような存在です。
そのような私達を、阿弥陀様は、「まかせよ。必ず救う」と南無阿弥陀仏のお念仏となって、はたらきかけて下さっているのです。そのことをお知らせ下さるために、お釈迦様が本願を説いて下さったという事なのです。
「花まつり」のご縁をとおして、お釈迦様がお出まし下さったからこそ、私達はお念仏に出遇うことができた、そのことに対して、感謝のお念仏を称えさせていただく事が大切であります。


浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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