本文へ移動

法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和4年 5月 法話
法話1
浄土真宗のご本尊さまをご存じでしょうか?
本堂の真ん中にご安置してあるお立ち姿の仏様を阿弥陀如来様と申します。
それで、常日頃私たちは「阿弥陀如来様、ありがとうごいざいます」という心持ちで「南無阿弥陀仏」とお念仏申します。
ですから、ご本尊がお釈迦様のご宗旨のお寺では「南無釈迦牟尼仏」となり、ご本尊が観音様だと「南無観世音菩薩」となります。

ところで、「阿弥陀(アミダ)」という言葉、もっと違う場面で使われていることがあります。
「アミダくじ」
このときに、「アミダ」という言葉が出てきます。
「アミダくじ」というのは、上から下に線を数本引き、その縦の線の間に横の線を引いてハシゴ状にします。縦線のどこか一つを選び、横線の所で曲がりながら下に進み、どこか一つのゴールにたどり着くこできます。
スタートとして選ぶ所が5ヶ所あれば、たどり着くゴールも5ヶ所あります。

しかし、もともとこのくじは、真ん中から外に向かって放射線状に線を書いて、それを引いたものだったそうです。
この形、どこかで見覚えがありませんか?
そうです。ご本尊阿弥陀如来様の頭のお姿、後光に似ています。ですから「『アミダ』くじ」と呼ばれるようになったそうです。
後光とは、阿弥陀さまの徳を光で表したもので、48本あると言われています。

「アミダくじ」の要領で考えてみると、48本ある線のどこを選んでも、まっすぐに阿弥陀如来様のもとへつながっていることになります。
私たちは、人生を歩む上でいくつもの岐路でどの路を行くべきが選択しなければなりません。自分の都合で見るならばその路は平たんな道でないかもしれません、つまずくことが多い道かもしれません。遠回りかもしれません。あるいは、違う道の方がいいように見えるかもしれません。
しかし、私が選んだその路は、阿弥陀さまが「だいじょうぶ。いつも見ているよ。いつも聞いているよ。いつも知っているよ。」と阿弥陀さまのお慈悲が私へとまっすぐに向けられている路でありました。

一人生まれ 一人去りゆく身にあらず 如来とともに還る道なり

阿弥陀様が「だいじょうぶ」と言われる道を一歩一歩歩んでまいりましょう。



法話2
 南無阿弥陀仏  
オンライン法話へようこそお参り下さいました。今日は姉の死を通して、いのちの帰っていくところ、いのちのふるさと、お浄土について述べさせて頂きたいと思います。

大阪に住んでいた姉は夫が亡くなり、その後、倒れて全身麻痺となり、頭と首だけが少し動く、という状態で病院に入院していました。
その間、頼りにしていた一人息子も亡くなり、施設に入所していました。長崎から大阪の施設に会いに行くと、姉は苦しそうに呼吸して、眉間に深い皺をよせて、一生懸命私の顔を見つめて、何かを訴えようとしていました。話すことも出来なかったので、何を訴えようとしていたのか、まったく理解出来ませんでした。

息子が亡くなった事も知らされていなかったようでした。一人息子が全くお見舞いに来ないことが気になり、息子のことを聞きたかったのかも知れません、また、これから私はどうなるの?・・・と、聞きたかったのかも知れません。

「きついねー、きついねー」と声をかけながら、身体をさすってあげているうちに、私の口からこんな言葉が自然と出て下さいました。
「お父さんやお母さんがいる、いのちのふるさと・お浄土に帰らせて貰うのよねー。私もやがて帰らせて貰うよ。阿弥陀さまがいつも一緒なんよ。南無阿弥陀仏と一緒にお念仏しよう」と・・・

一生懸命、私の顔をじっと見つめて聞いていた姉の両眼から、
一筋の涙がスーッと流れ出たと思った瞬間、今まで眉間にあった深い皺がサッと消えて、まるで仏さまのような、優しい、素晴らしい顔になり、吃驚いたしました。今でもその時の顔が浮かんでまいります。

姉の姿を通して、私たち衆生を抱きとって、安楽浄土へ生まれさせてくださる、阿弥陀さまのお慈悲を、身をもって教えてくださったようでした。

私と別れた二日後、姉はお浄土に帰ってゆきました。
阿弥陀様に抱かれ、仏さまとならせていただいた姉の姿は見えませんが、いま、ここに、私のいのちに寄り添い、いのちのふるさと、いのちの帰依処であるお浄土で、私がいのち終えた時、「ご苦労さんでした!」と、きっと迎えてくれることでしょう。

人は去っても その人のほほえみは去りません
人は去っても その人の言葉は去りません
人は去っても その人のぬくもりは去りません
人は去っても その人、拝む手の中に帰ってまいります 
南無阿弥陀仏



浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

〒850-0802
長崎県長崎市伊良林1丁目4-4
TEL.095-823-5863
FAX.095-823-7231
 
TOPへ戻る