法話
法話(オンライン法話のテキスト版です)
令和4年 8月 法話
法話1
光源寺オンライン法話へようこそお参り下さいました。どうか気を楽にして少しのお時間お付き合い頂ければと思います。
今年もすっかり夏本番となりました。連日の猛暑に私自身、コテンパンにやられております。皆様は如何お過ごしでしょうか?どうか熱中症にならないように、くれぐれもお気をつけ頂きたいと思います。
暑くなって参りますと増えてくるのが、虫さん達でございます。先日朝から本堂を掃除しておりますと、1匹のトンボが迷い込んできておりました。そのトンボは外に出たそうに、障子に向かってぶつかり、バサバサと音を立てておりました。「やれやれ」と思い、私は障子を開けてあげたんです。すると開けた障子にこう、付いてきてまたバサバサとぶつかっておるんですね。仕方なく開けた障子を閉めて反対側を開けると、障子と障子の間に入り込んでバッサバサやってる訳であります。こりゃいかんと思ってトンボさんが潰れないよう気を使いながら最初の閉め切った状態に戻して、またこっちを開けてみたり、あっちを開けてみたり、閉めてみたり、いっそ全開にして「ほら、出ていきなー」とつんって触ると今度は別の障子にのとこに飛んでいき、ぶつかりってみたりと、散々振り回されておりました。
しまいには出口から遠い、奥の方へ飛んでいってしまったので、だんだん腹が立ってきた私は「もうやーめたっ、もう勝手にしてくれ」とあきて諦めてしまいました。
もともとはトンボの事を想い、良かれと思って始めたのに、この有様でございます。
浄土真宗でよくお勤めさせて頂く「お正信偈」の中に「大悲無倦常照我」という御文が出てまいります。
この中の「無倦」とは「ものうきことがない」、もっと言うと「飽きることがない」、「見捨てることはない」ということです。
阿弥陀如来という仏様はいつでもどこでもどんな時でも、光明によって私を摂めとり、決して見捨てては下さらない仏様です。
たとえ私がフラフラとあっちにいったり、こっちに行ったりしていても、時には背を向けることがあっても、決して飽きることなく、見捨てることなく、片時も目を離さず見守って下さる仏様です。
たとえ私がそのはたらきに気付いていても、気付いていなくとも、関係はありません。
私自身はその時のご縁によってあっちこっちと振り回される存在でございます。その私を決して飽きずに、見捨てず、抱いて下さっている仏様がいて下さる安心を頂き、「有難いなぁ、なんまんだつ、なんまんだぶつ」と、1匹のトンボと戯れる中に気付かせて頂く、有難いご縁でございました。
法話2
南無阿弥陀仏 オンライン法話へようこそお参り下さいました。 今日は102歳
で亡くなられたAさんを通して、仏法に出あえた喜びのおこころを、お味わいさせて頂きたいと思います。 光源寺では毎週、日曜日の朝10時から日曜礼拝があります。
その日曜礼拝に毎週欠かさずお参りされていた、Aさんは102歳でお浄土へ帰られました。 無口なお方でありました。 時々お参りできる喜びを聞かせて頂くことがありました。 亡くなられた後、Aさんのお宅にお参りさせて頂いたある日、Aさんが亡くなられる迄ずっとお宅で看病されていた、お嫁さんからこんなお話を聞かせていただきました。 「義母は、いつもある時間帯になると、口をモグモグ動かして何やら言っていたんです。 最初は何を言っているのか分からず、聞こえてきたのは、101日、102日、103日、・・・・とか、義母は呪文を言っているように思いました。 それで、デイサービスのヘルパーさんが来られた時、 義母はよく101日、102日、103日・・・とそんなことを、ずっと言っています・・・とヘルパーさんに伝えると、 ヘルパーさんは、そうですか、 お母さんはデイサービスにこられた時、いつも自転車こぎを100回以上こいでいましたもんねー、とおっしゃいました。 それで義母が呪文のように言っていたのは、自転車こぎの回数を数えているのだ、と思っていました。 義母が亡くなり、私もお寺にご縁を頂くようになりました。 義母は、日曜礼拝から帰ってきた時、いつも本当に嬉しそうな顔をしていたので、その喜びはどこから来るのだろうと思っていました。 義母が亡くなり、今度は自分が日曜礼拝にお参りするようになり、お聴聞を重ねて、お経を読ませていただくうちに、 ある日、 ハッと、気づくことがありました。 呪文のような言葉を言っていた義母の言葉は 『阿弥陀経』の中にある一文 執持名号 若一日 若二日 若三日・・・・であった!」と、気づかれたのだそうです。
「いつもお寺から帰ってきた時の義母の嬉しそうな顔を思い出します。 今、私はお寺の日曜礼拝にお参りさせていただき、お聴聞させていただいて、仏法に出あえた義母の喜びを、今わたしが味わわせて貰っています。 義母のお陰です・・・」と、お話して下さいました。 いま彼女はお聴聞が何よりの楽しみ、とおっしゃいます。 どなたかのお歌 ♪「往きし人 みなこの我に還り来て なもあみだぶつと 称えさせます」 また原口針水和上のお歌に ♪「われ称へ われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれて往くぞの 親の呼び声」 私がお念仏を称えれば、必ず私に聞こえてまいります。 自分の称える声がそのまま 阿弥陀さまのお喚び声 お慈悲であります。 有り難いご縁でありました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
で亡くなられたAさんを通して、仏法に出あえた喜びのおこころを、お味わいさせて頂きたいと思います。 光源寺では毎週、日曜日の朝10時から日曜礼拝があります。
その日曜礼拝に毎週欠かさずお参りされていた、Aさんは102歳でお浄土へ帰られました。 無口なお方でありました。 時々お参りできる喜びを聞かせて頂くことがありました。 亡くなられた後、Aさんのお宅にお参りさせて頂いたある日、Aさんが亡くなられる迄ずっとお宅で看病されていた、お嫁さんからこんなお話を聞かせていただきました。 「義母は、いつもある時間帯になると、口をモグモグ動かして何やら言っていたんです。 最初は何を言っているのか分からず、聞こえてきたのは、101日、102日、103日、・・・・とか、義母は呪文を言っているように思いました。 それで、デイサービスのヘルパーさんが来られた時、 義母はよく101日、102日、103日・・・とそんなことを、ずっと言っています・・・とヘルパーさんに伝えると、 ヘルパーさんは、そうですか、 お母さんはデイサービスにこられた時、いつも自転車こぎを100回以上こいでいましたもんねー、とおっしゃいました。 それで義母が呪文のように言っていたのは、自転車こぎの回数を数えているのだ、と思っていました。 義母が亡くなり、私もお寺にご縁を頂くようになりました。 義母は、日曜礼拝から帰ってきた時、いつも本当に嬉しそうな顔をしていたので、その喜びはどこから来るのだろうと思っていました。 義母が亡くなり、今度は自分が日曜礼拝にお参りするようになり、お聴聞を重ねて、お経を読ませていただくうちに、 ある日、 ハッと、気づくことがありました。 呪文のような言葉を言っていた義母の言葉は 『阿弥陀経』の中にある一文 執持名号 若一日 若二日 若三日・・・・であった!」と、気づかれたのだそうです。
「いつもお寺から帰ってきた時の義母の嬉しそうな顔を思い出します。 今、私はお寺の日曜礼拝にお参りさせていただき、お聴聞させていただいて、仏法に出あえた義母の喜びを、今わたしが味わわせて貰っています。 義母のお陰です・・・」と、お話して下さいました。 いま彼女はお聴聞が何よりの楽しみ、とおっしゃいます。 どなたかのお歌 ♪「往きし人 みなこの我に還り来て なもあみだぶつと 称えさせます」 また原口針水和上のお歌に ♪「われ称へ われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれて往くぞの 親の呼び声」 私がお念仏を称えれば、必ず私に聞こえてまいります。 自分の称える声がそのまま 阿弥陀さまのお喚び声 お慈悲であります。 有り難いご縁でありました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏