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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和3年 7月 法話
法話1
今年は日本仏教にとって特別な年でもあります。
実は、令和3年は聖徳太子の1400回忌の年に当たります。
ご存じ聖徳太子は、仏の教えを大切にされ、世の乱れる原因が人々の心に潜む自己中心的な考えにあるとし、仏の教えによってそれを鎮め、安定した国家の形成を目指されました。日本仏教の父とも言えるお方です。
 光源寺の本堂の右端には、いつも聖徳太子のお掛け軸をご安置してお勤めしています。
親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」として大切にされていました。
親鸞聖人29歳のとき、聖徳太子によって創建された京都の六角堂に100日間参詣し、その95日目に聖徳太子が夢の中に現れて道をお示しになったと言われています。
また、聖徳太子は『憲法十七条』で
「人皆な心有り、心に各(おのおの」執るところ有り。
彼れ是なれば則ち我れ非なり、我れ是なれば則ち彼れ非なり。
我れ必ずしも聖に非ず、彼れ必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫のみ。」
と日本で初めて「凡夫」という言葉をお使いになり、私もあなたも、共に同じ凡夫であるとお示しくださいました。
 また、そんな私たちに最も大切なことは、「和をもって貴しとなす」という言葉でお示しくださいました。
「和」とは「やわらぐ」と読みます。
「やわらぎをもって、とうとしとなす」
人はみんな心があります。その心はすぐにあっちを向いたり、こっちを向いたりコロコロしています。ときにはカチカチに固まってしまうことも。
大切なのは、そのこころが和らいでいることです。心が和らいでいる状態を平和といいます。
この私のありのままの姿に、そのままでダイジョブというお慈悲のぬくもりをいただいたときに、固まっていた心が少しづつほどけて、和らいでまいります。
このコロナ禍の時代、いろんな方がそれぞれの考え方で歩んでいます。私はどういう道を選んだらいいのだろうか。悩むままを「大丈夫」という如来さまのお慈悲に照らされて、心和らいで歩んでいきたいものです。
 南無阿弥陀仏



法話2
本日はこちらにおられます阿弥陀如来という仏様がいったいどのような仏様なのかをお話しさせて頂きたいと思います。
 阿弥陀様にはいろんなおはたらきがございますが、本日はその中でも1つだけ
「先手の救い」についてお話させて頂きたいと思います。
 「先手」とは将棋などでよく使われる「先手、後手」の事です。
 私が京都でお勉強をしておる時の御講師がよく「救いが先手、たすかるが後手。先手先手の阿弥陀さん。」と口癖のように仰ってました。
これはどういう意味かというと、決してこちらから助けてくださいとお願いして、救いが用意されるのではないという事です。

5年程前、同級生が店長をしている居酒屋に行った時の話です。その日はゴールデンウィークという事もあり人が多く相席をお願いされました。私の目の前には60代位の男性二人が座っていました。そのうちの一人が大変多く飲まれていたようで、すごく陽気に周りにビールを振舞っていました。
暫くしまして、自分もお酒を2~3杯飲んだころ、その方が何を思ったか「ちょっとおいと腕相撲ばしろ」と私に言ってきました。確かに目の前のテーブルは腕相撲をするにはちょうどいい高さではありました。
私は腕っぷしに自信はありませんが断り方がわからなかったのでまぁまぁ仕方ないなと思い、その勝負を受けました。
 そしていざ腕を組みまして、その人の顔を見たんです。すると目が合った瞬間、さっきまでお酒を飲んですごく陽気だった顔が急に真顔になるんです。組んだ腕からも力が抜けていったんです。
 不思議に思った私は「どうしましたか?」と声をかけました。するとその人が
 「おいは、あんたのこと知っとるよ。と言うんです。
 「え?」思い、びっくりしてその人の顔をよく見てみるんですけれども思い出せません。
 私がキョトンとした顔をしているとその人が耳元で「お寺の息子さんやろ?」とこう言うのです。驚いた私は今一度その人の顔をよーく見ました。そして私ははっと思い出しました。
 その人は過去に一度だけお会いしたことがあるご門徒さんだったのです。
私がその方にお会いしたのは私がまだ僧侶にならせて頂く前で、一般職に勤めていた頃です。お盆参りに運転手として父を手伝った事がありました。その方のお宅に着いて、私は車に残って本を読んでいました。
 するとお勤めを終えた父と一緒に、その方も出てこられたんです。それもわざわざ私にオレンジジュースをもってきて下さいました。
 そして一つ疑問に思ったのが、なぜそのご門徒さんが自分の事を覚えていたのか、という事です。私はそのご門徒さんと一度しかお会いしたことがないのです。それにお会いした当時、私は今と違い髪が長く、髭も沢山蓄えておりました。ですので聞いてみたんです。
 「私、一度しかお伺いさせて頂いていないのによくわかりましたね?」と。するとそのご門徒さんは「そりゃそうさ。こーんなちっちゃい時から知っとるさ」って仰るんです。びっくりしました。
 続けて「今なんばしよっとね?」と尋ねられましたので
 「京都でお勉強させて頂いております。」とこたえました。するとそのご門徒さんは私の手を今度は両手でがっと掴み、
「そっか。頑張ってね。」と笑顔で仰るんです。
なんとも言えない気持ちになりました。
 そのご門徒さんは私が幼いころから私を知っていたのです。そして私の事をずっと前から、小さい頃から気にかけてくれていたのだと思います。「髭なんか生やしてぇ」って思っていたのかもしれません。それでも「しっかり跡継いで欲しいなぁー」って思ってくれていたのかもしれません。だから熱い中わざわざ外に出てきてくださり「オレンジジュース飲むかぁー」ってオレンジジュース持って来て下さったのだと思います。それに気づかせて頂きますと、なんともお恥ずかしい事をしていたなぁーって思うんです。それと同時に有難いなぁーって思わせて頂くのです。
阿弥陀様がこの私を思う気持ちと言うのはこのような事ではないのかなぁと思うんです。阿弥陀様は私がそのはたらきに気づいていても、まだ気づかなくても、私に絶えず呼びかけ続けて下さる仏様です。目には見えなくても私の口から出てくるお念仏となって、確かにはたらいてくれております。
私が気付いていなくても、ずっと前から私を想ってくれていたんだなぁと喜びながら、阿弥陀様に救いの先手を打たれた人生を、有難く歩んでいきたいと思う本日のご縁でございました。 南無阿弥陀仏





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