本文へ移動

法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和3年 9月 法話
法話1
9月は秋のお彼岸の季節です。
今年の秋のお彼岸もまた、新型コロナウイルス感染防止の為、オンラインを中心とした法要を勤めさせていただいます。
新型コロナウイルスの感染が広がっているこの一年半、毎日不安な日々を過ごしています。
今、行っていることは正しいことなのだろうか?対策はこれでいいのだろうか?
ずーと悩み続けています。
いや、悩むことは、今にはじまった事ではありませんでした。考えてみれば、これまでもなにかある事に悩み、考え、私の心はいつも揺れていました。

揺れる心を揺らさないようにするのが、佛道修行
揺れて揺れて もつれてしまった私の心
仏とはもつれた糸をほといたお方 ほどけたお方仏さま

揺れないようにがんばっても、気が付くと私の心は揺れてしまい、もつれてしまいます。そんな私が、ほどけとお方・仏様と出遇わせていただく。これはとても大切なことです。

先日、小学生の娘から変わった質問をうけました。
「ねぇお父さん、もしもだよ、お父さんが死んだらどうなるの?」
予想外に問いに一瞬とまどいましたが、ここは真剣に答えないといけないと思い
「おじいちゃんと同じほとけさまのお浄土で仏様になるよ」
と答えました。
すると続けて
「本当にもしもだよ、私が死んだら、どうなるるの?」
さすがにギクっとしましたが、適当にごまかしてはいけないなと思い
「お父さんと同じほとけさまのお浄土で仏様になるよ」
と答えました。
すると安心したみたいで
「ありがとう」とホッとした表情を浮かべていました。

ほどけた世界、揺れることがない世界に出遇わせていただくと、ホッと安心いたします。


この一年半でそれまでの当たり前の生活がガラッと崩れ、新いい生活様式での歩みをするようになりました。毎日の検温、マスクの着用、手洗い・うがい、外出の自粛等々。
「当たり前」というものはそのときそのときで変化していくものと気づかされました。
「当たり前」の反対の言葉をご存じでしょうか?
「当たり前」の反対の言葉は「ありがたい」です。「有ることが難しい」と書いて「ありがたい」といいます。
私達の「いのち」の在り方を落ち着いて観てみると、本当に「有り難い」ものでした。

本願寺第23代勝如上人は「お念仏の道とはおかげさまと生かされ、ありがとうご生きぬく道である」とお示しくださいました。

この秋のお彼岸をご縁に「おかげさま、ありがとう」と日々の日常の中で手を合わせてまいりましょう。




法話2
私事ではございますが、昨年姉の子どもが生まれ、めでたく叔父にならせて頂きました。
女の子の、それも双子で、それはもうとっても可愛く、親バカならぬ、すっかり叔父バカでございます。
 先月高島にある実家のお寺で「初参式」を勤めさせて頂きました。
 衣を着てみんなで阿弥陀様の前に座り、一緒にお経を唱えました。
 姪っ子2人は、はじめは口を開けキョロキョロしておりましたが、しばらくすると本堂の中を自由に動き回ってました。
 
 考えてみますと生後1年も経たない姪っ子達は、おつとめができるわけでもありません。ご法話がわかるわけでもありません。阿弥陀さまという仏さまのこともよくわからないでしょう。わけがわからないまま本堂に連れてこられて、周りの大人が騒がしくしているなあ、くらいにしか思っていないかもしれません。そもそも姪っ子達はこの式のこと覚えてるのかと疑問に思いました。
 理屈っぽい私は姪っ子達にとってこの式は本当に意味のあるものなのか?いったい誰のための式なのかと考えてしまうわけであります。
 
 初めて、参る、式、と書いて、「初参式」と読みます。
 これはお子様が生まれて初めてお参りさせて頂くことを意味するのはもちろんのこと、お父さん、お母さんが同時にその子の親となって初めてお参りさせて頂く、子と親、両方の阿弥陀様へのご報告でございます。
 そして私は可愛い姪っ子達の叔父にならせて頂いて初めてお参りでありますし、私の父と母は、おじいちゃん、そしておばあちゃんになってから初めてのお参りになります。
 お子さんのはじめての仏縁と同時に、ご両親にとっても親として生きてゆく出発点であり、子どもが運んで下さったとても尊い仏縁です。
 仏様に授かった新たな命によりそれぞれの立場が代わり、その子の命を通して我々もまた本堂で手を合わしみ教えに触れるご縁頂いております。
 
 初参式に限らず、お葬式や法事なども、すでにご往生されたその人自身がお参りしたり、聞法したりしているわけではありません。
 お参りし聞法しているのは、その人に縁のあった人たちです。つまり、お参りや聞法は「誰かのために」のご縁ではなく、お参りをしている人のためのご縁なのです。
 皆さんで阿弥陀様の前に座らせて頂き、ご往生された方の思い出話をする中に、明日から自分がどのように生きてゆくのか、自分の生き方というものを改めて見つめ直すご縁を故人の命を通して頂いております。
 
 それこそこのコロナ禍でお寺で集まることも難しくなっている時代であります。当たり前だと思っていたことが、今思うと本当有難いことだったなぁと思うことばかりであります。そんな中家族で集まり、手を合わせることが出来る有り難さを、姪っ子達の誕生を通して感じた尊いご縁でございました。


浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

〒850-0802
長崎県長崎市伊良林1丁目4-4
TEL.095-823-5863
FAX.095-823-7231
 
TOPへ戻る