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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和4年 1月 法話
法話1
皆さんにとって昨年はどのような年になったことでしょうか。新しいことに挑戦された方。あるいは一昨年同様コロナに振り回されてたらいつの間にか1年が終わっていた、なんて方もおられるかもしれません。私はというと大阪から地元ここ長崎に生活の場を移して、ここ近年では最も環境が変わりあたふたしている間に年を越してしまった、そのようなところでございます。

 そして中には昨年、大切な人を亡くされ、悲しい別れを経験された方もおられるかもしれません。

 人は生まれてきたからには必ず死を迎える、それはわかっていてもいざその時に向き合うと、なかなか受け入れ難いものがあります。

 みなさんは「往生」という言葉を聞いてどのような事を思い浮かべますか。

 例えば車なんかを運転している時に「渋滞にはまってしまって往生している。」とか、諦めの悪い相手なんかに「いい加減往生しろ」なんて台詞が使われたりします。それと「立ち往生」なんて言葉もございます。立ったまま亡くなること、また、行き詰まってどうしようもなくなることの例えなどで使われています。

 このように「往生」という言葉は困った時、諦める時、また亡くなる時を意味する言葉として使われています。

 ですが今一度この「往生」いう漢字を思い浮かべて下さい。往復の「往」往くに生まれると書いて「往生」ですから、「往き、生まれる」という意味なのです。では一体どこに往き生まれて行くのでしょうか。

 親鸞聖人は、私たちの命は阿弥陀様の「お浄土」というところに往き生まれていく命はなんですよと仰っております。

 私の好きな言葉で中西智海和上が仰られていた

「人は去っても その人の微笑みは去らない
 人は去っても その人の言葉は去らない
 人は去っても その人の温もりは去らない
 人は去っても 拝む掌のなかに帰ってくる」

というお言葉があります。

 人というのは、生まれた時から決して若返ることなく刻一刻と老いていき、いつか必ず命の終わりがきます。これは誰にとっても悲しいことで、決して免れることができない事実です。

 ですが、先だった方の面影、手の温もり、交わした言葉はその人が人生を全うされた証として、今、私たちに大切な教えとなって至り届いてくださっております。

 その先立たれた方をお浄土に往き生まれた仏様として仰いでいける喜びと、私たちもまた命終えた後、教えとなり遺された人の元へ還ることができる安心頂き、今年もこの頂いた命、お念仏と共に歩ませて頂きたいと思う今回のご縁でありました。


法話2
新年、明けまして南無阿弥陀仏
本年もよろしくお願いいたします。

さて、令和4年は一体どういう年になるでしょうか。一番の関心事は新型コロナウイルスの事かもしれません。楽観視せず、今できることを模索しながら、一歩一歩ゆっくりと歩んで行かなければなりません。

親鸞聖人は、「難度海」というお言葉を使われています。一見意味がわかりづらい言葉ですが、「難度海」の「度」の字にサンズイをつけてみるとその意味がよくわかります。「度」にサンズイをつけると「渡」という字になります。つまり「難度海」とは「渡ることが難しい海」ということです。

鎌倉時代の初期、親鸞聖人は生まれ育った京都を離れ、越後へ、現在の新潟県へ赴きました。今、京都から新潟へ行こうとすると、新幹線を乗り継いで4時間程度で行くことができます。しかし鎌倉時代には、徒歩または船を使い二週間かけて移動したそうです。京都から滋賀を通り福井へ、金沢・富山と日本海沿いを進んだ先に最大の難所が待ちかまえています。

「親不知・子不知」と呼ばれるその場所は、新潟県糸魚川市の約15km続く断崖絶壁。日本アルプスが海と交わる場所です。断崖と海との間に残されたわずかな岸辺で荒波が治まるのを待ち、隙を見て走り抜けぬけるようにして進まなければならないそうです。通行は困難をきわめ「たとえ親子でも、お互いを気遣う余裕がない」ことから「親不知」(おやしらず)と呼ばれるようになったそうす。親鸞さまはこの路を南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏とお念仏申しながら渡って行かれたことでしょう。

 たとえ親子であっても互いを気遣う余裕がない状況でも、いやそういう道を歩まなけばならない私だからこそ如来様は私を気遣い、南無阿弥陀仏と寄り添ってくださいます。

 南無阿弥陀仏は「難度海を度する大船」と親鸞聖人はよろこばれました。渡ることが難しい海を、乗せて渡してくださるお念仏の大船。私が如来さまを気遣う前から如来さまは私を乗せてともに歩んでいておられました。

ある方が次のような事を教えてくださいました。
「人に認められようが、認められまいが、そういうことはどうでもよい。仏様に認めてもらえばそれで良い。それなのに自分が身につけたもので威張ったり、見せつけたりしているから混乱が起こるんだ」

コロナ禍で迎える令和4年。改めて、今の自分を見つめなおし、私を気遣い続けてくださる如来さまのお心と共に日々を歩んでいきたいものです。
南無阿弥陀仏



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