いよいよ光源寺昭和平成大修復がはじまります。とにもかくにも本堂修復。これが最優先事業でした。天保に建立された光源寺本堂よりご本尊阿弥陀如来様を、完成したばかりの門信徒会館へお移しする御動座法要が営まれました。 平成元年(1989年) 〇光源寺本堂「平成の大修復」工事着工〇御正忌オールナイト法座 本堂修復を記念するものとして、達也住職が全門信徒に呼びかけた『重誓偈』の写経。1160巻の写経が3つの壷に分けられ、新本堂の床下・地下1メートルの土中へ奉納されました。 平成2年(1990年) 〇平成の本堂 上棟式〇光源寺で旅博の紙芝居上映〇本願寺「降誕会」参拝〇『重誓偈』写経を本堂床下に奉納 湧き上がる 念仏の柱に支えらる よそおいあらた 光源精舎 「平成の本堂」おごそかに落慶法要 稚児行列も行い、300人を超す門信徒がお祝いしました。 平成3年(1991年) 〇『光源精舎』発刊〇本堂落慶讃法要〇産女の幽霊 30年ぶりに夜の御開帳〇本願寺400年大法要参拝 999回目の日曜礼拝に開催された、「花まつり特別日曜礼拝」 カレー・ゼンザイ・うどんのコーナーでお腹を満たし、子ども会の「鯨の潮吹き」婦人会の「真宗宗歌」の舞で賑わいました。 平成4年(1992年) 〇日曜礼拝1000回達成〇日曜礼拝二十周年記念法要〇門信徒会館内陣落慶〇築地本願寺・関東御旧跡団体参拝〇光源寺文庫創刊 達也前住職が師と仰ぐ、藤原鉄乗師・藤原正遠師の歌碑が、境内にある親鸞聖人童形像の横に建立されました。除幕式には、石川県から藤原正遠師・利枝夫人も出席も出席されました。 「来し方も又ゆく方も今日の日も 我はしらねどみ運びのまま」 平成5年(1993年) 〇藤原鉄乗師・正遠師歌碑完成〇山陰・妙好人を訪ねて参拝〇達也住職の「正信偈」テープ完成 7月27日 長崎市市民会館で、即如ご門主さま御臨席のもと、全戦没者長崎原爆犠牲者50回忌追悼法要が厳修されました。 光源寺門徒のお二人が代表で「追悼の言葉」を述べました。12月7日 即如ご門主さまが光源寺をご巡回、250人の門信徒と共にお待ち受けしました。 平成6年(1994年) 〇即如ご門主 光源寺巡回〇ハワイ別院へ団体参拝〇全戦没者・長崎原爆五十回忌追悼法要 光源寺ひかり子ども会が、「正力松太郎賞」を受賞しました。 仏教精神に基づき青少年の健全育成に尽力した個人・団体に贈られる故正力松太郎元読売新聞社主が提唱した名誉の賞が「正力松太郎賞」、光源寺の90年の子ども会活動が認められました。 平成7年(1995年) 〇「お寺巡り」のぶらぶら歩き 120人参加〇光源寺発行の「覚」200年ぶりの里帰り〇ひかり子ども会「正力松太郎賞」受賞 平成8年(1996年) 〇鳥栖・西法寺団体参拝〇新庫裏棟上げ式 書院・庫裏そして山門・参道が完成。これで平成の大改修がすべて終了。本堂まで車が登るようになりました。落慶法要が京都から帰ってきた直也若院のデビューとなりました。 平成9年(1997年) 〇巍々山会発足〇境内までの坂道完成〇瀬高光源寺参拝〇書院・庫裏・山門落慶法要〇児童念仏奉仕団へ初参加 日曜礼拝と子ども会が合同で行った、「花まつり野外の集い」雲仙市国見町の百花台公園へバス2台・80人で行きました。 平成10年(1998年) 〇蓮如上人500回大遠忌法要参拝〇『よき人のおおせのままに』発刊〇百花台で野外花まつりの集い〇「人生のよろこび法要」勤修〇『長崎歌人伝 ここは肥前の長崎か』発刊