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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 7月 法話
法話1
ようこそのお参りでございます。
今年は、「立教開宗800年」の節目の年に当たります。「立教開宗」とはわかりやすく言えば、浄土真宗が開かれて800年ということです。
800年前、親鸞聖人は関東の地で浄土真宗の根本聖典である『顕浄土真実教行証文類』をお書きになられました。その一節がいつもお勤めしている『正信念仏偈』です。
つまり、『正信念仏偈』ができて800年経った言うことができます。
そのようにいただいてみると、今年は『正信念仏偈』のお勤めがよりありがたく感じます。

『正信念仏偈』とは親鸞聖人が阿弥陀如来のお慈悲をいただいた歓びを現した歌といわれています。その『正信念仏偈』に「如衆水入海一味」という一文があります。
雨の一粒一粒は真水です。しかし海に入った瞬間、海と同じ塩味になります。これは雨粒に塩味にかわる性質があるわけではありません。海はあまりにも深く広大なので、雨粒が海に落ちると自然と海との境がなくなり同じ塩味になるということです。
お浄土とはまさにこの海のような徳があるところと親鸞聖人はよろこばれました。

先日、長男の13回忌の法要をお勤めしました。長男は、誕生予定日の一週間前、母親のお腹の中でその「いのち」を閉じていきました。
あたたかい布団の代わりに、ドライアイスが入った冷たい棺を用意しないといけなかった事の寂しさ・辛さ…今思い出しても涙が出てきます。
何より苦しかったことは、戸籍に載せることができなかったという事でした。この目の前にいる「いのち」は10か月の間、確かにお腹の中で生きていました。しかし、この世に存在したことを認められない。法制度上、仕方がないという事は頭ではわかっています。けれども、その「いのち」を受け止める器がないのが今の世の定めなのだと痛感しました。

お浄土は違います。「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず」との親鸞聖人のお言葉がありがたく響いてまいります。この世では、生まれてきたことにすらならないような「いのち」でも、阿弥陀如来のお浄土には参らせていただいている。「如衆水入海一味」どのような「いのち」も受け入れてくださるお浄土。そしてお浄土で仏と成った「いのち」として13回忌をお勤めさせていただきました。

お浄土があってよかった。この私もいつの日かお浄土へ参らせていただき、一滴の真水が海と同じ塩味になるように、この私の「いのち」が仏の「いのち」とならせていだくことを「正信念仏偈」をお勤めしながらいただきたいと思います。

法話2
本願力にあいぬれば 空しくすぐる人ぞなき 
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

先だってのオンライン法話で、18歳で脊髄カリエスにかかり、病床17年、35才でご往生される迄お念仏相続に励まれた、藪てい子さんというお方のお話をさせて頂きました。
その後、福岡県にお住いの元ご住職様から、ご住職のお母さまの仏法聴聞のきっかけとなられた、聞法録が送られてまいりましたのでご紹介させて頂きます。

――遇法の思い出――  開田チヨト  
昭和15年8月21日午後3時、次男の突然の水死は、私にとって、一生忘れる事の出来ない日となりました・・・・子供二人は数分前迄、一本の牛乳を仲良く分け合っていました。(お兄ちゃんが元ご住職様であります。)
それが永遠の別れとなろうとは、誰が予想できたでしょう。全く予期せぬ出来事でした。
 医師は、「もう駄目です。注射の必要もありません。」と、冷たいお言葉。 助かろうが、助かるまいが、最善の手当を・・・・とお願いしました。 注射の効なく生き返りませんでした。
冷たく横たわっているわが子の前に座りながら・・・・・落ちた時のドブンという音は、はっきり聞こえながら、我が子がおぼれるはずがない!という思い上がりと、息子は苦しい中から「お母さん!お母さん!」と呼び続けたであろうという思いが・・・・
ごめんなさい! わが身を捨ててでも替わってやりたい!!という思いで、胸も裂けよとばかり苦しみました。 願っても、願っても何の反応もなく、ただ人間の無力と、空しさを初めて気づかせて頂きました・・・・

今にして思えば、この子は我が身の命を捨ててまで、この愚かな母に 「みんな、明日をも知れぬ命だよ」 と教えてくれました。 その時から、「よし!」私は命をかける思いで仏法を聞こう。 お寺参りを始めよう、と恐ろしいまでの力が沸き上がりました。

それからは、無我夢中で聞法、求道しました。けれども、天を仰いでも、草葉の下を探しても、仏さまは見出せませんでした。ある先生の紹介で、初めて福岡市内のお寺様のご法縁に遇わせて頂きました。私はお隣のおじさんに会うような気安さでご講師に、「私の手落ちで、わが子を殺してしまいました。」と苦悩を打ち明けました。

先生は非常に穏やかに、「あんたが殺したのではなかろう。子供さんはそういう  ご因縁にて一生を終わられたのです。今色々とあなたに話しても分かるまいから、今、あんたにお願いしたいことは、お仏法の聴聞は止めずに長く続けてください。」と仰せられました。私は何だか心がスカッとして、恥じることもなく、はばかることもなく、「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と、声高高とお念仏申しながらご講師室を出ました。
家に帰って主人に「お寺にお参りしましたよ。」と言いましたら、「まだお寺参りは早か。年をとったらなんぼでも聞かれる。 今から金をためて暮らしていこうと思っとるのに、俺の思う通りにせんなら別れんばたい、お寺参りは嫌いである。」と言いました。

その言葉を聞きながら、本当に別れるようになるかもしれん!でも主人とも幼い子供とも、いつかは別れねばらぬ身ではないか。 それが10年、20年早いだけの事。    
法を聞こう。西も東もわからぬまま、なるようにまかせよう。 この思いは、一体どこから来たのだろうと思いました。

ある時、別のお寺に月に一度、諫早からご出講の山本晋道先生の聞法のご縁に遇いました。先生の熱のこもったご法話に、全身を耳にして己を忘れてお聞きしました。
先生は、「救われぬ者こそ、救わずにはおかぬ」と、深き仏さまの親心を、涙を流し、お念仏申しながらお説き下さいました。先生の口がそのまま、如来さまの口のようでした。

仏さまの親心は、私が亡き子供を前にして、胸を叩いて叫んだのと同じではないか!何と尊いみ仏さまの親心だったのだろう・・と、その時の感激醒めぬまま帰宅しました。ああ!これで私はよかった!と。仏法聴聞浅き私ですが、親心ひとつで、不思議な世界を恵まれて、思うこと、味わうことの一切が、心の底から頷かれて、仏法を楽しむ日暮らしであります。
深い深い仏さまのお慈悲もわからぬまま、 業深き愚者と知ることもなく、 外の顔ばかり気にして、この世のことは片時も忘れず、少しでも長生きすることに精一杯です。
仏さまは、今は亡き子供であり、亡き子供は仏さまでありました。
40数年前の思い出に浸りつつ、私は幸せ者であります。南無阿弥陀仏。」という尊いお手紙でありました。
お母様のお姿は、「救われぬ者こそ、救わずにはおかぬ」深き仏さまの親心を・・・・また仏縁に遇わせて頂いたお方の、尊いお姿を私に伝えて下さいました。

本願力にあいぬれば 空しくすぐる人ぞなき 
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

南無阿弥陀仏。

浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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長崎県長崎市伊良林1丁目4-4
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