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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和4年 11月 法話
法話1
11月のオンライン法話のご縁をいただきお取次ぎさせて頂きます。
日本全国には、実に様々なお寺や神社が存在します。2021年度の文部科学省の調査によりますと、日本全国のお寺の数は約77,000寺もあるそうです。また、神社の数は約84,000社あるそうです。
数字だけで比べてみて、本当に身近なところに多くのお寺や神社が存在していることが分かるのではないかと思います。
今や、私達の生活に身近な存在となっているコンビニエンスストア。2021年度には、日本国内に約57,000店もあるそうですが、その店舗数を超えたお寺や神社が、日本各地に存在しているということになります。
これらのお寺や神社に、様々なご利益があることを期待してお参りに行かれる方も多いのではないかと思います。
テレビ番組でもパワースポットと称してお寺や神社を紹介され、多くの方々の参拝の様子が映し出されることもあります。
無病息災、合格祈願、商売繁盛、安産祈願、家内安全、縁結び、金運アップなど、お寺や神社によって、そのご利益は様々のようです。
そのようなテレビ番組を見ていて、もしかしたら気付かれた方がいらっしゃったかも知れませんが、その類のテレビ番組に浄土真宗のお寺が出てこないのです。
私達の浄土真宗本願寺派の寺院数は、本山のホームページによりますと、2021年4月1日時点で10,106寺。親鸞聖人を宗祖と仰ぐ他の真宗教団を含めても、文化庁が公表する宗教年鑑の数字では約20,000寺。日本全国の約77,000ものお寺のうち、真宗教団の数が約25パーセントを占めるにもかかわらず、浄土真宗のお寺がパワースポットとしてテレビ番組に取り上げられることがないのです。
それは、一般的に言われているご利益というものと、浄土真宗におけるご利益に違いがあるからではないかと思います。
利益という意味を辞書で調べますと、「仏・菩薩などが人々に功徳を授けること」、「神仏の力によって授かる利福」と記されています。
私達の浄土真宗では、南無阿弥陀仏とお念仏を称えても、私達の欲望とも言える、無病息災、合格祈願、商売繁盛などの願いは成就しません。
そもそも、仏教は因果の道理というものがあって、すべての物事は、「因」と「縁」と「果」とが複雑に関係しあい影響しあっているという事です。
よって、南無阿弥陀仏とお念仏を称えても、病気になりますし、志望校に落ちることもありますし、商売が上手くいかない、お金持ちになれるとは限らないのです。

私達の浄土真宗における利益は、「まかせよ。かならず救う」という阿弥陀様の「本願力」によってめぐまれた信心をいただき、正定聚(しょうじょうじゅ)になることであります。
正定聚(しょうじょうじゅ)とは、「往生成仏することに定まった仲間」という意味です。
信心をいただいたその時に、臨終を待たずに往生が決定する。つまり、この世に生きていながら、必ず仏になることを実感して生きる。仏になることが定まれば、迷い続けることはないのです。
また、「正信偈」に、『仏言広大勝解者 是人名分陀利華』とあります。
信心の人は人間の中の分陀利華であると讃えられています。分陀利華とは白い蓮の華のことです。なぜ、白い蓮の華に例えられるのかと言うと、蓮の華は泥沼の中に生きながら、美しく白い華を咲かせます。
私達は煩悩の泥沼に沈んで生きているようなものですが、阿弥陀様は、そのような私達をかならず救うと願っておられるのです。信心をいただき、阿弥陀様のおはたらきによって、この美しく白い華のように仏になることが定まっているのです。
煩悩まみれの姿であることが、かえって阿弥陀様の本願に出遇うご縁であったと気づかされる、これも大きな利益であります。

一般的に言われているご利益というものは、一時的には幸せを感じることができるかも知れませんが、一時的な幸せで満足することができず、次第にそれ以上のものを求めていくようになっていきます。
浄土真宗におけるご利益は、阿弥陀様の本願によって信心をいただき、その時に必ず仏となること定まる、阿弥陀様のおはたらきによって、私達が煩悩だらけの凡夫の身であることに気づかされる、それは、一時的なものを超えた尊いご利益ではないでしょうか。
その、阿弥陀様よりいただいた尊いご利益をとおし、毎日をお念仏とともに、力強く歩まさせていただきたいものです。



法話2
先日長崎では、西九州新幹線が開業し、市内は大いに盛り上がりました。
 開業記念イベントでは航空自衛隊のアクロバット飛行チーム、「ブルーインパルス」が展示飛行を披露し、開業に花を添えました。
 私、前日のリハーサルをたまたま見ることができまして、初めて見るアクロバット飛行があまりに綺麗で、速く、そしてかっこよくて、とても感動しました。
 30分ほどたっぷり見させて頂いた後、リハーサルを終えて帰っていく「ブルーインパルス」に思わず、「ありがとー」って言いながら手を振っておりました。
 翌日、本番の日のことでございます。私はお寺から車で30分程の所に住んでおられる、ご門徒様のお家にお参りに行っておりました。
 そのお家でのお参りが終わり、車で帰っていると物凄い渋滞に捕まりました。全く車が動きません。渋滞の原因は「ブルーインパルス」の飛行時間と重なってしまったことです。
 どうやらこの日は「ブルーインパルス」目当ての人の車で、長崎市内は何処も大渋滞だったそうです。
 いつもだったら30分程度の帰り道も、その日は2時間弱かかってしまいました。
 全く動かない車の中、私、その時ばっかりは「ブルーインパルス」に対して、「もーしばらくは来んでくれ」と思っておりました。
 つい昨日「ありがとー」と手を振った「ブルーインパルス」に対してです。
 冷静に考えてみますと、お恥ずかしい限りでございます。
 このように、ひとつの出来事に対して、関わり方が変わってくるだけで、「有難う」と感謝することも出来れば、その逆に腹を立てることもあるのが私の姿です。
 それは物事をありのままに見る事が出来ず、自分のものさしに捉われていたり、その時の都合や、縁に振り回されて、勝手に腹を立てている、とても愚かな私の姿です。
 あーしたい、こーありたいと言う感情だけが表に出て、そのフィルターを通して物を見ていては、物事の本質を見る事は出来ません。
 「ブルーインパルス」は変わらず2日続けて飛んだだけでございます。変わったのは私の関わり方です。
 今回はただ渋滞にハマって腹を立てているというだけの例えでございましたが、生きていると、もっと納得のいかない、数えきれない程の「理不尽」が容赦なく降りかかってきます。
 どうして私だけがこのような目に合わなければいけないんだ、なぜ愛する人と死に別れていかなければいけないのか、など、様々です。
 我々はその問いに対して納得する答えを持ち合わせておりません。
 情あるが故に苦しみ悩んでおるのが我々の姿です。
 阿弥陀様という如来様は、私に対して「世の中そーゆーもんだから、受けとめなさい」とは、おっしゃらない如来様であってくださいます。
 「苦しみ悩み、どれだけ考えても、あなたは悲しみを越えで行くことが出来ないのは分かりました。それでは私があなたを救える仏となり、あなたをそのままの姿で、抱いてかかえていける仏となります。どうか安心して下さい」と今もこの命に「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と届いて下さる如来様でございます。
 その如来様お心を聴き、時には悩みながらも、苦しみながらも、それでも安心して、このお念仏の道、歩ませて頂きたいと思う、今回のご縁でございました。


浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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