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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和5年 2月 法話
法話1
 今月は、「お仏壇」について話をさせていただきます。

 仏教徒にとって、お仏壇は家庭の中心です。
 一般の家庭にお仏壇が安置され始めたのは、江戸時代後期と考えられています。



 「亡くなった人もいないのにお仏壇を迎えるとその家に死人がでる」などという人がいますが、まったくの迷信です。お仏壇は、死者の霊をまつるところではありません。
 
 お仏壇は、私たちをお救いくださる阿弥陀様をご安置し、お飾りは阿弥陀様のおられるお浄土の世界を表したものです。
 私たちはお浄土の姿を思い、阿弥陀様のお慈悲に照らされて暮らしていることに感謝して日々をおくります。
 つまり、お仏壇は家族一人ひとりの心の依りどころとなるべき場所です。

 お仏壇のない家には、手を合わせる場所がありません。新居を構えたら、まずご本尊(お仏壇)をお迎えするのが浄土真宗の門徒としての大切な心得です。



 お仏壇をご安置する場所については、「西に向かって礼拝できるように置くのがいい」「一階でその上に天井以外なにもない所がいい」など色々いわれます。こだわれば、まずお仏壇の場所を決め、そこから家の設計にとりかかるくらいの覚悟が必要になってくるでしょう。
 しかし、実際は敷地・間取りなど様々な制約があって、とても難しいことです。
 そこで大事なのは、まずみんながお参りしやすい場所を選ぶことです。

 昔は仏間があって、そこはその家で一番大事な部屋で、客間でもありました。一戸建てならば、仏間もつくる事も出来るでしょうが、アパート・マンション住まいですとなかなか難しいと思います。
 また、どんなに立派な仏間があっても、あまり人の入らない・お参りしにくい部屋になっては意味がありません。同じように、どんなに立派なお仏壇があっても、誰もお参りしない・手を合わせないでは意味がありません。
 それより、お参りしやすい・手の合わせやすい場所にご安置するのがいいでしょう。

 ある本で、マンション住まいの家庭にお参りした時の話が書いてありました。
 
 ・マンションのある家庭にお参りしましたら、台所の食器棚の上にお仏壇がありました。
「毎朝、子どもが手を合わせていきます。」とその家の方がおっしゃってました。…と。

 一番みんなが集まりやすくて、お参りしやすい・手の合わせやすい場所。それが台所であるならば、それでもいいのです。
 それは前にも申しましたように、お仏壇とは死者の霊をまつるところではなく、家族一人ひとりの心の依りどころとなるべき場所なのですから。

 お仏壇に向かい、阿弥陀様に合掌・礼拝し、お念仏を称え、阿弥陀様のまことの智慧とあたたかいお慈悲に照らされて暮らしていることに感謝して日々をおくらせていただきたいものです。
法話2


 
2023年2月 オンライン法話 

今年の冬は、例年よりも厳しい寒さになっているようです。昨年の12月には1週間の間に2回も雪が積もり、滅多に見られない、めずらしい出来事ではなかったでしょうか。
めずらしい雪景色を眺めていると少しわくわくしてしまいますが、やはり、厳しい寒さには耐えられません。
長崎に雪が積もることは、なかなかありません。
長崎に雪が積もると、独特の地形の問題もあるかと思いますが、あちらこちらで交通規制が敷かれ、バスや電車のダイヤは大きく乱れ、学校は休校や始業時間を遅らせる、一部の企業は出勤できない社員さんに対してリモートワークを取り入れるなど、日常と違って何かと混乱した日を過ごすことになります。
この状況を北陸や東北地方にお住いの方が知ったら、その程度の雪の積もり方で混乱するのかと驚かれるかも知れませんが、慣れていない事もあり長崎の街は大混乱となってしまうのです。
この厳しい寒さの原因ですが「ラニーニャ現象」というものが影響しているそうです。
太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より低い状態が1年程度続く事を「ラニーニャ現象」と呼ばれており、この現象の影響によって西日本付近に寒気が流れ込みやすくなり、特に厳しい寒さになると考えられているそうです。

雪が溶けた翌日、あるご家庭にお参りに伺った時の事です。
まだまだ厳しい寒さは残っておりました。
読経も終わって、ご門徒さんと少しお話ししながら、
「少し雪が降るくらいは、めずらしくていいけども、寒さが続くのは嫌ですね。」
そのようにお話しをしたところ、ご門徒さんから、
「いやいや、寒さも大切ですよ。冬には冬の役割があるのですよ。」
そのように仰いました。
このご門徒さんの言葉を聞いた時に、桜の開花には寒さが必要であったことを思い出しました。

桜の花は春に咲きますが、桜の花のつぼみは花が散った後の夏にできるそうです。
秋になると、つぼみは成長することなく眠りに入り、冬の厳しい寒さにさらされることで眠りから目を覚まします。これを「休眠打破」と言うそうです。
目を覚ました後のつぼみは暖かくなるにつれて成長し、そして桜の花が咲きます。
つぼみが開花するためには、その前に一定の期間の厳しい寒さにさらされることが必要とされているそうです。

私達の人生においても、厳しい時間を過ごさないといけない時があるのではないかと思います。
お釈迦様は、「人生は自分の思い通りにならない、人生は苦しみである。」とお示しくださいました。
大切な方との別れも苦しみのひとつ。これを「愛別離苦」とお示しくださいました。
大切な方がお亡くなりになられるということは、人生における厳しい現実を突きつけられることです。簡単に受け入れることは出来ないのかも知れません。厳しい時間を過ごすことになるのかも知れません。
しかし、この厳しさには大切な意味があるのです。
「愛別離苦」という厳しい苦しみに向き合うなかで、人生は思い通りにならないと気づかされ、その先に、お念仏と出遇うご縁があった、そのような方も多いのではないでしょうか。
そうなりますと、桜の開花に厳しい寒さが必要であるように、私達の人生においても、厳しい時間を過ごすことが大切であると気づくことができるのではないかと思います。

親鸞聖人は『浄土和讃』に、

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

数限りない多くの世界があり、そこにいる全ての衆生をご覧になり、その者たちを光明の中に摂め取って捨てることはありません、それゆえに阿弥陀と申されるのです、と記されています。

「愛別離苦」という厳しい苦しみから逃れることができない私達を、阿弥陀様は、摂め取って捨てないとお慈悲のお心を向けてくださっているのです。
私達は、阿弥陀様の「必ず救う、まかせよ」というおはたらきを讃えさせていただき、「南無阿弥陀仏」と感謝のお念仏を称えさせていただくことが大切です。
浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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