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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和5年 8月 法話
法話1
 今から8年前の8月。一人の女性が光源寺を訪ねてこられました。
「実は、千羽鶴を作ったのでお寺に納めたいと思って持ってきました」
と言われました。
その年は、被爆70年の年でしたので、きっと亡くされた親しい方を思い出し、鶴を折られたのだろうとすぐに思いました。
しかし・・・
「長崎では戦没者を偲んでたくさのお方がお参りをされています。千羽鶴を作られる方もいらっしゃいます。皆様その千羽鶴は長崎市松山町にある平和公園に納められているようですよ。この千羽鶴も平和公園へ持っていかれた方がいいのではないでしょうか?」
 と返事をいたしました。
するとその女性の方は、
「私もそのことは知っています。平和公園へ納めに行こうとも思いました。実は私は今、ある施設にお世話になってそこで暮らしています。施設の仲間と話しをしていくうちに、千羽鶴を作ることに思いついたのです」 
 と言われます。
「それならば、なおのこと平和公園へ行かれた方がいいのではないですか?」と返事をさせていただくと
「実は自分の姉が被爆し亡くなって今年で70年になります。毎年8月9日には平和公園にお参りに行っていました。その姉のお腹には赤ちゃんがいたんです。その赤ちゃんは生まれてくることなく亡くなってしまいました。毎年8月に慰霊法要が行われ、7万4千人もの命が失われたとの慰霊の言葉を耳にします。しかしお腹の中にいた赤ちゃんの命はその数に入っていないのではないかと疑問に思っていました。もしそうであるのなら、これまで一度もお腹の赤ちゃんの命が尊ばれたことがないことになります。そんな赤ちゃんはもっとたくさんいたんではないでしょうか。そう思って仲間に呼びかけ、赤ちゃんの命を思い、鶴を作ったのです。ですから、阿弥陀様の所に納めさせていただきたいんです」
と言われました。
 その言葉を聞いて愕然としました。確かに誕生後しか戸籍に載りません。では、お腹の中の赤ちゃんに命はないのでしょうか?そんなことはありません。昔は数え年といって、お腹に命が宿ったときからその命を大切に見つめていました。阿弥陀如来さまは一つの命を大切に「われにまかせよ そのまま救う」、そんな「いのち」を助けずにおれないと南無阿弥陀仏の名号となって呼びかけ続けてくださっています。
 今年もまた8月になりました。一つ一つの「いのち」を大切にとの阿弥陀さまの願いをいただきながらお念仏の道を歩ませていただきたいものです。



法話2
先日可愛い赤ちゃんがやってきました。 生まれて半年くらいでした。
赤ちゃんは長椅子に寝かされて眠りました。 お母さんは私たちと一緒にお喋りの輪に加わっていましたが、赤ちゃんが少しでも動くと、お母さんはすぐ赤ちゃんの様子を見に行きます。 また泣き声がすると飛んでいきます。 いつも赤ちゃんから心が離れません。 しばらくして赤ちゃんはお母さんの胸に抱かれましたが、すぐに眠ってしまいました。 赤ちゃんの眠った姿を見ていると、こんな言葉が浮かんできました。
♪「親に抱かれて寝る赤子 おちる おちぬの心配はなし」 稲垣瑞釼
*こんな経験をしました。 民生委員として担当地区で、生後2~3ケ月の赤ちゃんのお宅を訪問することがありました。 あるお宅でのことでした。 赤ちゃんを抱っこしてお母さんが出てこられました。 お母さんとお話をしようとしましたが、赤ちゃんは泣き止まず、お母さんはただオロオロするばかりでした。
それで、「赤ちゃんを抱っこさせて頂いても良いでしょうか?」と、尋ねると、 「はい」とおっしゃるので赤ちゃんを抱っこさせていただき、ゆりかごを揺らすように、 「蓮くん、おりこうさんねー、大きくなってねー、元気に育ってねー」と、 呼びかけ、話しかけていると、赤ちゃんが泣き止みニッコリしました。
それを見ていたお母さんが、「泣き止んだ!笑ってる!」と、今度はお母さんが泣き出し、眼鏡の下から流れる涙を拭いている姿が見えました。
「何か困ったことはありませんか?市役所からアンケート用紙が来ていると思いますが、アンケートに記入していたら頂いて帰りたいのですが・・・」と、おたずねすると、赤ちゃんを抱っこしてお部屋の方へアンケートを取りいかれました。   すると、お母さんの胸に抱っこされた赤ちゃんが、前よりも大きな声で鳴きながら帰って来ました。
再び抱っこさせて頂き、さっきと同じように、「蓮君、おりこうさんねー大きく育ってねー」と、話しかけ見つめながら揺らしていると、赤ちゃんは眠ってしまいました・・・・ それを見たお母さんが、「眠ってる!」と言ってまた涙を拭いていました。
「赤ちゃんとの生活を楽しんだらどうでしょうねー。 また来ます」と言って、お家を後にしました。
赤ちゃんが泣くと、心配してオロオロするお母さん。 赤ちゃんが泣き止むと嬉しくて涙を流し、安心して眠った赤ちゃんの姿を見て、嬉しくてまた涙を流す。 両方のお母さんの姿を見せて頂きました。 
私も同じように育てられてきたこと。 親亡きあとも願われている私であるのに、いつの間にか、親のご恩を忘れてしまっている私がいます。
弱くて 強くて 不思議な母さん 悲しい時は そんなに泣かず うれしい時には 涙をこぼす・・・ サトウハチローさんの言葉です。
私が悲しい時は心配してくださり、私が嬉しい時は涙を流して喜ぶ・・・阿弥陀さまも同じおこころだと気づかされました。 
赤ちゃんとお母さんの姿を通して、お二人の姿は、お母さんは阿弥陀さま。泣いている赤ちゃんは私の姿のようでした。 阿弥陀さまのおこころ・お慈悲を気づかせて下さった、尊い仏さまでありました。
   童謡詩人・金子みすゞさんに「さびしいとき」という詩があります。              「私がさびしいときに よその人は知らないの 私がさびしいときに お友だち
は笑うの 私がさびしいときに お母さんはやさしいの 私がさびしいときに 仏さまはさびしいの」 仏さまは・・・さびしい・・・と。
金子みすゞさんの詩を通して、阿弥陀さまのお慈悲の深さを、あらためて感じさせていただきました。        *一か月ほどして再度訪問すると、赤ちゃんは、丸々と太ってお母さんの懐に抱かれていました。「その後どうですか?」とたずねると、「あれ以来泣きません。 よく眠ってくれて助かります」と、ゆとりのある言葉が返ってきました。 赤ちゃんを温かく見つめるお母さんの姿が印象的でした。 やがて蓮君は、「私がお母さんよ!ママよ」と呼びかけ続ける親心が入り満ちて、「おかあちゃん!ママ!」と呼ぶようになるでしょう。
私も、阿弥陀さまから、「私が南無阿弥陀仏よ。私が南無阿弥陀仏よ。」と、呼びかけ続けられています。 阿弥陀さまの親心が、「耳に入り、身に入り満ちて、「南無阿弥陀仏」と出て下さいます。  「聞其名号 信心歓喜」
♪「南無阿弥陀仏」は仏さまのおなまえ 私の口から出て下さるまでに どれほどのお呼びかけを頂いていることでしょう。  
♪「ひとり子よ み仏の子よ いとし子よ 母なるみ手に 抱かれし子よ」  南無阿弥陀仏



浄土真宗本願寺派
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