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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和5年 11月 法話
法話1
2023年11月 オンライン法話 

11月のオンライン法要のご縁をいただきお取り次ぎさせていただきます。
私事ではありますが、昨年の10月から今年8月までの約10か月間、浄土真宗本願寺派の子ども・若者ご縁づくり推進室が開催する「思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」を受講いたしました。思春期・若者の生きづらさについて理解を深め、必要に応じて専門家へ繋ぐことができるように知識を学ぶ研修会です。
昨年10月と今年7月には、京都の本願寺の隣にある聞法会館でスクーリング(対面による講義)が行われ、その他の講義は、「ZOOM」(インターネットを使った会議システム)によるオンラインで行われました。
講義内容については、思春期における生きづらさの問題、若者の自死・自傷に関する事、カウンセリングの手法、カルト宗教に関する事、性暴力に対する支援、性に関する諸問題など、様々な講義がありました。
そのなかには、「LGBTQ」と呼ばれる性的少数者の方々が抱える生きづらさについて、理解を深めるための講義がありました。
「LGBTQ」は、この数年、よく耳にする言葉でもあります。
「L」はレズビアンの事で、女性同性愛者。「G」はゲイの事で、男性同性愛者。「B」はバイセクシャルの事で、両性愛者。「T」はトランスジェンダーの事で、体の性と心の性が一致しないために心の性で生きたいと望む人。「Q」は、自分自身の性がはっきりしない人や決めたくない人などです。
今年の6月には、性的少数者の方々に対する理解を深めるための法律が施行されましたが、未だに公人の差別的な発言も続いており、まだまだ、社会の認識不足が解消されたとは言えません。
日本における「LGBTQ」の方々の割合については、様々な調査があるようで、その結果に多少の数値の違いはあるものの、5%から10%位ということが分っているそうです。講師の先生が分かりやすい例えでお話しされましたが、この割合は、左利きの人やAB型の人と同じ位となるそうで、思っていた以上に多くいらっしゃることに驚きました。
おそらく、私の身近にも「LGBTQ」の方がいらっしゃったと思います。しかし、これまでの私自身の生き方を振り返ってみますと、「LGBTQ」の方々が抱える生きづらさに対して真剣に向き合う事もなく、受け入れるような態度を取っていなかったと思います。何気ない言葉や態度で傷つけた事があったかと思うと、それは恥ずかしい限りです。

浄土真宗の拠り所のお経のひとつに『仏説阿弥陀経』があります。そのなかに、
「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」
とあります。阿弥陀様が作られたお浄土の池の中には、車輪のように大きな蓮の華があって、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかであるという意味です。お浄土では、それぞれの花が自らの色のままで輝きながら咲いており、それが互いに調和しています。
それぞれの花は、全ての「いのち」のことです。全ての「いのち」は、自分の色を放ち輝きながら、平等に生きる事ができることを意味しています。
浄土真宗のみ教えをいただく私達にとって、この『仏説阿弥陀経』の一節は、「LGBTQ」の方々への理解を深めるために、ひとつの方向性が示されている言葉ではないでしょうか。
まずは、私自身の認識不足を反省し、誰もが自分の性を尊重されながら生きることができる社会になるように、私にできることから取り組んでいきたいと思っています。

このオンライン法話の中では、全ての講義についてお話しすることは難しいのですが、何らかの機会をとおして、皆様にお伝えできればと思っています。



























法話2

今月は「中陰」について話をさせていただきます。

 人が亡くなって四十九日の間が「中陰」と呼ばれる期間です。遺族にとって深い悲しみにある時です。
 亡くなった日から数えて七日目(命日からまる六日)が初七日。例えば一月一日に亡くなれば一月七日が初七日となります。その後一週間ごとに二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、四十九日とあり、それぞれお勤めします。これを中陰法要といい、四十九日は中陰の期間が満了するという意味で満中陰といいます。
 地域によっては「お逮夜」といって前日にお勤めされることもあります。
 この中陰法要は、故人を縁として浄土真宗のみ教えを聞き、阿弥陀様のおこころにふれるご縁となるものです。故人も遺族も、ともに阿弥陀様のお慈悲のなかに包まれていることを聞き、感謝の思いでお勤めします。



「中陰」の話になりますと、よく出てくるのが「四十九日が三月にまたがってはいけない。」という話です。仏事に関するものとしては、「友引の日に葬式してはいけない。」というのと並んで根強い俗信となっています。
 「友引」とは、日本では勝負ごとを占うことにつかわれ、もともとは「共引」であり、引き分けという意味であったにかかわらず、なぜか「友を引く」という意味にすり変わりました。
 「四十九日が三月にまたがってはいけない。」は、「始終苦が身につく」の語呂合わせからきたものです。そもそも月の半ばを過ぎて亡くなると必ず三月にまたがります。むしろ、三月にまたがる方が多くなるのではないでしょうか。
 それとも今まさに亡くなろうとされてる方に、「四十九日が三月にまたがるから、あと半月待って。」とでも言われるのでしょうか。



 また一般的に、「中陰」という言葉は、亡くなってからまた生まれるまでの中間のことを意味する「中有」という言葉に由来します。その期間が四十九日となっていますので、故人死後、次の生を受けるまで、生と死との間をさまよっている状態にあるなどいわれることがあります。
 しかし、浄土真宗のみ教えのもとでは、いのちを終えるとただちに、阿弥陀様のおはたらきによってお浄土に往き、仏として生まれられてますから、故人が生と死との間をさまようことはありません。


 大切な方を亡くした悲しみの縁だからこそ、故人を偲ぶとともに、故人を縁として浄土真宗のみ教えを聞き、故人も遺族も、ともに阿弥陀様のおはたらきによってお浄土に往き、仏として生まれ、お互いが仏として、また出遇えることを聞かせていただく仏縁として大切にお勤めしていただきたいものです。





 



浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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