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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 1月 法話
法話1
今月は、「報恩講」について話をさせていただきます。

 「報恩講」とは、九十年の人生をとおし、私たちにお念仏のみ教えをお示し下さった親鸞聖人のご遺徳を偲び、ご恩に報謝する法要です。


 親鸞聖人は、九歳の時に出家得度をされ、比叡山で二十年間、さとりの道を探求されました。
しかし、修行を積むほど、学問に励むほど、さとりに近づくどころか、煩悩に束縛され、どうする事も出来ない凡夫である自分の姿に気づかれ、比叡山を下りる決心をされました。
 そんな中、法然上人のもとを訪ねられ、
 「その自分では、どうする事も出来ない凡夫である あなた こそ、ほってはおけないと救いの目当てとされ、何もかも仕上げ立ち上がって、南無阿弥陀仏とはたらきかけて下さっているのが阿弥陀様である。」とお念仏のみ教えに出遇われ、阿弥陀如来の本願に帰する身となられました。

 今、私たちがお念仏のみ教えに出遇う事が出来たのは、間違いなく親鸞聖人のおかげです。
しかし、親鸞聖人だけではなく、その聖人にお念仏を伝えて下さった方々がおられる事を忘れてはいけません。
 その事を簡潔に書かれてあるのが、『正信念仏偈』であります。


  
 ●阿弥陀様は、法蔵菩薩の時、罪悪深重の凡夫を救わんが為に、名号を聞かせて本願を信じさせ、念仏もうすものに育てて救おうと誓う本願をおこされ、その本願が成就し仏となられた阿弥陀様は、限りない智慧の光明をもって、すべての世界・生きとし生けるものを救う為、「南無阿弥陀仏」とはたらきかけて下さる仏様となられた。
 が、そのような仏様となって下さっても、誰一人気づく事が出来なかった。

 ●約二千五百年前、お釈迦様がおでましになられ、「南無阿弥陀仏」とはたらきかけて下さる阿弥陀様を発見され、『浄土三部経』を説かれて、お念仏のみ教えをお伝え下さり、お勧め下さった。

 ●お釈迦様がお勧め下さったお念仏のみ教えをインドの龍樹菩薩・天親菩薩、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本の源信和尚・源空(法然)上人の七人の高僧方々が受け継がれ、私たちにより分かりやすいように解釈し、お勧め下さった。
 
 つまり、阿弥陀様が「ほってはおかん」と立ち上がり、光明をもって照らし・「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏様となられたのは、この私たちの為であったことをお釈迦様は明らかにされ、お念仏のみ教えをお伝えし・お勧め下さり、そのお釈迦様がお勧め下さったお念仏のみ教えをインド・中国・日本の七人の高僧方々が、分かりやすいよう解釈しお勧め下さった。
 その七高僧のお勧めがあったからこそ、親鸞聖人はお念仏に出遇われ・自らがいただかれ・よろこばれ、共にお念仏の道を歩みましょう とお勧め下さっていることが、『正信念仏偈』によって示されています。



その聖人のお勧めをたくさんの先人の方々が受け継ぎ・お伝えして下さったからこそ、今私達はお念仏に出遇うことができたのです。

 「報恩講」のご縁をいただき、親鸞聖人を偲び、凡夫である私たちを「ほってはおかん」と立ち上がって下さり・「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる阿弥陀様のみ名をいただき、自らが拠り所とし、よろこばせていただき、そのよろこびを親鸞聖人のように、今まで伝えてくださった方々のように、次の方に伝えていく。
 それこそが親鸞聖人への報謝であり、そのようにつとめさせていただきたいものです。

 



法話2
2023年1月 オンライン法話 

1月のオンライン法要のご縁をいただきお取り次ぎさせていただきます。
先日、あるご家庭に祥月命日のお参りにお伺いした時の事です。
『正信偈』のおつとめが終わった直後に、そのご家庭のお孫さんから、
「なんで、歌っていたの?」
そのような質問を受けました。幼稚園の年長さんか、まだ小学校に上がったばかり位のお孫さんのお言葉です。
祥月命日のお参りの意味がわからなくても仕方ありません。黒い服のようなものを羽織った人が、お仏壇の前で手を合わせて、あまり馴染みのない少ない音階の歌を歌っている、そのように感じられたのかも知れません。その子のお母様が、
「ひいおじいちゃんが亡くなった日だから、お参りしてもらっているの。」
そのように説明をされていましたが、あまりピンと来ない様子でした。まだまだ小さなお子さんですから無理もありません。お孫さんが、ひいおじいちゃんと会った事がないのは御命日からも明らかです。理解できないのはなおのことだと思います。

おつとめさせていただいた『正信念仏偈』略して『正信偈』ですが、浄土真宗のみ教えが凝縮されたもので、前半は『仏説無量寿経』に基づいて、法蔵菩薩が世自在王仏のもとで本願をおこす場面などが述べられ、後半はインド・中国・日本の七人の高僧の徳が讃えられています。
この『正信偈』の事を、お孫さんは「歌」と言われたのですが、『正信偈』は、親鸞聖人がお書きになられた『教行信証』の「行巻」の最後に示された偈文で、室町時代の第八代宗主の蓮如上人が、本願寺の朝夕の勤行で『正信偈』と『和讃』のおつとめをはじめられました。
偈文とは讃歌のことですので、歌であることは間違いありません。また、聖典にも記載がありますが、『正信偈』は「ハ調のレ」から「ソ」へ、『和讃』は「ハ調のレ」から「ミ」、そして「ラ」へと音階があがっていきます。おつとめが終わりに近づくにつれて、どんどん高い音階に変わっていきます。最後にかけて雰囲気が盛り上がっていくようにも感じます。
最初から最後まで「ハ調のミ」が続く『讃仏偈』や『重誓偈』などに比べて、『正信偈』と『和讃』には多くの音階が使われており、歌の要素が強くなっていることが、長年ご門徒の皆様に親しまれた理由ではないかと思います。

『正信偈』は七言を一句として百二十句もあり、漢文でなかなか難しいものではありますが、最初の二句には
帰命無量寿如来 南無不可思議光
とあります。歌であることから、全ては無理でも最初だけは覚えているという方も多いのかも知れません。限りないいのちの仏さまに帰命し、思い量ることのできない光の仏さまに帰依いたします、という意味であり、親鸞聖人ご自身の「阿弥陀様にお任せします。」というよろこびの告白です。
『正信偈』は、親しみやすい「歌」となっていることで、多くの方々の心に浄土真宗のみ教えが染みわたり、そして、私達にも引き継がれてきました。心から阿弥陀様を信じお任せするという敬いの心をもって、おつとめさせていただきたいものであります。

お参り先のご家庭のお孫さんは『正信偈』を「歌」と言われたわけですが、今はお仏壇の前で歌う意味を理解できなかったかも知れませんが、一緒に手を合わせてお参りいただく有難いお姿がありました。
そして、この先、成長していくなかにおいて、共に、阿弥陀様を讃えながら、この歌に込められた親鸞聖人のお心を聞かせていただくことができればと願っています。



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