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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 2月 法話
法話1
令和6年は、正月よりあいつぐ災害・事故・火災で多くの方が「いのち」を失い、また日常の生活を失われたことでありました。

人生には三つの坂がある。一つには上り坂。二つには下り坂。この二つの坂を歩んでいるときはいいのだけども、どこから突然三つ目の坂がやってくる。その坂を「マサカ」の坂という。今ようやく「コロナ」というマサカの坂を乗り越えつつあるそのときに、また突然やってきたマサカの坂。
被災された方々が少しでも早く穏やかに過ごせることを念じます。

以前、このような話を聞いたことがあります。
私たちは、気が付くとこの世に生を受けていたという認識しかありませんが、実は生まれてくる前に仏様と4つの約束をしているのだとか。

1つ目の約束は、
「あなたがこれから生まれる人の世の命のご縁はたった一回だけだよ」ということ。
自分に都合が悪くなったからといって、リセットボタンを押して初めからやり直しということは決してできない。軌道修正はできても、時間を戻してやり直しすることはできないといことです。

2つ目の約束は、
「そのたった一度の命のご縁は、だれも代わってくれない」ということ。
苦楽を分かち合い、助け合い、ともに歩むことはできます。しかし、体調が悪いときは、自分自身が病院へ行って診察してもらわないといけません。体調が悪いのは自分自身。それを交代してもらうことはできないのです。私が受ける縁は私が引き受けていかないといけないということです。

3つ目の約束は、
「いつか必ず終わりがくる」ということ。
いつまでもずーとこのまま変わらずにと思っていても、すべてのものは刻一刻と移り変わります。どんなに変わらぬことを願っても、初めがあれば必ず終わりがあるということです。

4つ目の約束は、
「その終わりはいつどんな形でやってくるか全くわからない」ということ。
100年を超す命のご縁もあれば、誕生することすらかなわない命のご縁もある。自分の都合が全く役立たない。「死の縁無量」「老少不定」それが私の命の姿であるということ。

私たちはこの4つの事を仏様としっかり約束してこの世に生まれてくるのだけども、生まれたと同時にその約束事を忘れてしまって、そのまま人生を歩んでいるということでした。

お釈迦様はそのことを「諸行無常 諸法無我」と教えてくださり、蓮如上人は「後生の一大事」とお示しくださいました。

そんな私の「いのち」の有り様に、4つの約束を忘れて生きている私に向かって、阿弥陀如来さまは、48の願をかけてくださり、「まかせよ 救う」と私の「いのち」を南無阿弥陀仏のお念仏となって包み込んでくださっています。

 今年はまだ始まったばかりです。阿弥陀如来さまの願いの中に日々を歩ませていただきましょう。

南無阿弥陀仏


法話2
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
        師主知識の恩徳も 骨をくだきても報ずべし
今年は浄土真宗が開かれて800年という記念すべき年であります。
初めにいただきましたご和讃は、親鸞聖人さまがお作りになられた「恩徳讃」というご和讃であります。「恩徳讃」は、通常ご法座の最後に歌うことがあります。
「あー、これでようやく終わり~」という合図? ではございません。 私は最初「恩徳讃」に出会ったとき、「身を粉にしても? 骨を砕きても?」・・・え!そんなこと、私にはできない!死んでしまう・・・と思いました。
「粉骨砕身」という言葉がございます。随分前のことですが、若乃花関が横綱になられた時、「粉骨砕身・努力精進して参ります」とおっしゃったのを思い出します。

親鸞聖人さまがこのご和讃をおつくりになられたお心は、阿弥陀さまの大慈悲のご
恩は、身を粉にしても、骨を砕きても感謝しきれないほどであります、というお心でありましょう。
師主知識の恩徳も、とあります師主とはお釈迦様。知識とは浄土の教えを伝えて下さった、七高僧、インドの龍樹大師・天親菩薩。 中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師。 日本の源信和尚・法然上人であり、また善智識の方々のご恩も、身を粉にしても、骨を砕いても感謝しきれないほど、尽くしても、尽くしきれないほどのご恩であります、と述べておられるご和讃であります。 私たちにとりましては親鸞聖人さまであり、また仏法を聞くご縁をいただき、お念仏申す身に育てて下さった、ご先祖の方々、また有縁の方々への報恩・感謝であります。

 私に両親が二人。また私の両親にもそれぞれ両親がいて、その両親にもそれぞれ両親がおられます。 ちなみに、10代前(約350年前・江戸時代)迄さかのぼると1、024人のご先祖さまがおられ、20代前(約700年前・鎌倉時代)迄さかのぼると、104万8、576人のご先祖さま。さらに30代前(約1000年前・平安時代)迄さかのぼると、10億7、374万1、824人のご先祖さまがいらっしゃいます。私たちはそういうご先祖のいのちのバトンを受け継いで、今まさにいのちの最前線にいるということになります。

 そういう尊いいのち。 朝目が覚めたら、「おかげさまで、今日もいのちをいただきました。有り難うございます。南無阿弥陀仏」 また、夜やすむ時は「おかげさまで今日も無事に過ごすことができました。有り難うございます。南無阿弥陀仏」と、感謝の日暮らしをさせていただきたいと思います。 お蔭さまの、「かげ」は目に見えませんが、見えないはたらきをいただいて、生かされて生きているいのち。
・・・「白いご飯を頂くと、赤い血となり、肉となり、骨となり、最後はおしっことなり、ウンチとなって下さる。そのはたらきは誰がして下さっているのでしょうか。
不可思議なはたらきは、見えないけれどもあるのです。せっかくいただいたいのち、「おかげさまで・・・」と感謝の日暮らしをさせていただきたいと思います。
南無阿弥陀仏


浄土真宗本願寺派
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