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法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 3月 法話
今月は「お彼岸」について話をさせていただきます。

 「彼岸」とは、仏様のおいでになる彼方(かなた)の岸、お浄土(さとりの世界)を表す言葉です。
彼方の岸(彼岸)があるということは、此方(こなた)の岸(此(し)岸(がん))があるということで、「此(し)岸(がん)」とは、私たちのこの苦悩の世界(迷いの世界)を表す言葉です。
 「彼岸会」とは、「到彼岸(彼方の岸に到る)」ともいい、苦悩の世界(迷いの世界)である此の岸を離れ、さとりの世界である彼の岸(お浄土)へ仏として到る身である事をよろこばせていただく法要です。




 「お彼岸」と聞くと、お墓参りとイメージされる方が多いと思われます。
 確かに「お彼岸」になりますと、境内地のお墓にも多くの方が来られ、掃除をし、お供えをあげ、お参りされてます。

 先立たれた方々を敬い・感謝する事は有り難いことではありますが、もっと大切な事を聞かせていただくことが大事ではないでしょうか?
 先立たれた方々を偲び、その方々が往かれたお浄土を想い、お浄土で仏様として生まれられている事を聞き、この私も阿弥陀様にいだかれて、お浄土に仏としてまいらせていただく身であったと聞かせていただくことが大事です。




 それでは、どのようにお浄土に仏としてまいらせていただくのでしょうか?
 親鸞聖人は『高僧和讃』の中で、
   「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
           弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」
とお示し下さいました。

 「彼岸」になると思い出す方がいます。
 水泳を習い始めた方で、その方に「三途の川を泳いで渡る為に、習い始めたんですか?」と意地悪な質問をしたら、「うんにゃ違う。三途の川を泳いで、ターンして戻ってくる為に、習い始めた!」と答えられ、一本取られたと思った事を思い出します。


 しかし、先ほどの和讃の前半では「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば」と示されています。
○ほとりなし とは、 行き着く場が無い と言うことです。 
○ひさしくしづめる とは、 遠い昔よりすでに沈んでいる と言うことです。
 泳いで渡るどころか、戻ることも何一つ出来ないと言うことです。

 「生まれてから死ぬまで、煩悩に束縛され、自らの欲望によって自らが苦しみ、どうする事も出来ないのが私たちの姿である」と明らかにして下さった。

 「そのどうする事も出来ない私たちの姿を見抜かれた阿弥陀様は、ほってはおけないと立ち上がってくださり、何も出来ない私たちに代わり何もかも仕上げ、南無阿弥陀仏とはたらきかけくださる仏様となられ、沈んでいる私たちを摂め取り、間違いなくお浄土へ仏として往き生まれるようにお渡しくださる。」と和讃の後半で、
 
 「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」とお示しくださっています。




 皆様がお参りし、偲ばれている先立たれた方々は、ほってはおけないと立ち上がってくださり、南無阿弥陀仏とはたらきかけくださる阿弥陀様の船によって、お浄土へ仏様として生まれられています。
 また、私たちも南無阿弥陀仏とはたらきかけくださる阿弥陀様の船によって、お浄土へ往き、仏とならせていただく身であります。

 「お彼岸」の縁を単なるお墓参りする期間にとどめるのではなく、彼方の岸におられる阿弥陀様をおもい、お念仏のみ教えを通し、先立たれた方々を偲び、その方々が往かれたお浄土を想い、お浄土で仏様として生まれられている事を聞き、私たちも阿弥陀様にいだかれて、お浄土に仏としてまいらせていただく身であったとお念仏申し、よろこばせていただきたいものです。


皆さんおはようございます。シアトル別院の楠活也です。今日はこうしてですね、光源寺の本堂でご法話をさせていただく機会を頂いております。私、ここ、光源寺の次男として生まれてですね、ここで18歳まで育てて頂きました。
お寺に生まれ育った息子、子供としてこれはもう本当にあるあるなんですけれども、多くのお寺の子供がですね、お寺が嫌だ、離れたいという思いを持つんですね。私もそのうちの一人でした。
高校卒業して大学進学をする時はですね、何としてでもやはり県外の大学に行きたいということで、県外の大学に進学致しました。しかしですね、やはり日本国内に居ると、どこにいてもですね、お盆と正月というのは帰って来れるんですね。それでお盆の時はお手伝いをして、年末年始帰ってきてですね、また、除夜の鐘のお手伝いをしたりするんですけれども、何とかそこもですね、もっと遠くに離れることは出来ないだろうかっていうことを常に考えておりました。
大学在学中にですね、大学を休学してですね、青年海外協力隊いうのに参加させて頂いてですね、そこでアフリカのジンバブエという国に野球隊員として派遣されました。そうするとですね、もう日本国外のアフリカまで行ってしまいましたので、もうとてもじゃないですけれども、お盆の手伝いに帰ってくるとか、そういうことは出来ない訳ですね。まあ、私の願いが叶ったというか、とても楽しい時間を過ごさせて頂いたんですけれども、しかし、これも期間限定で大体二年位すると、やはり日本に戻ってきて、また同じように、その時期になると、お盆・お正月になるとお寺へ戻ってきて手伝いをするということが続いておりました。
日本へ戻って来た後ですね、また、何とかして海外に行くことは出来ないかな、と言うことをずっと模索しておったんですけれども、ある時、父がですね。「かっちん、アメリカとかねブラジルにもお寺のあるとよ。そがんとこ誰も行きたか人おらんけんね。簡単に行けるけん行ってみんね。」いうアドバイスをもらったんですね。それを聞いたときに、「ああ、オッケー」みたいな感じで、気軽な感じでですね、それなら行ってみようかなと思って、それがきっかけで京都の中央仏教学院に行き、仏教、浄土真宗の勉強を始めました。それから、勤式指導所、伝道院、それからIMOPというですね海外開教使になるための研修を受けて、2010年にローダイ仏教会、カリフォルニア州のローダイ仏教界に赴任し、それから2017年に、今のですね、シアトル別院に赴任致しました。
これ思うとですね、不思議だなと思うんですね。お寺を離れたい離れたいという思いでですね、ずっと歩みを続けてきたつもりがですね、いつの間にかお寺に戻ってるんですね。そういう自分のこれまでの歩んできた足跡というのを考えるとですね、いつも親鸞聖人のご和讃が頭に浮かびます。

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば 阿弥陀となずけたてまつる

「摂取」というのはですね、逃ぐるものをおわえとるなり、そして決して捨てないという意味だと教えて頂いております。
私はお寺を離れて離れてですね、アフリカまで行ったんですけれども、どこまで行っても、どこに行ってもですね、阿弥陀という仏様はずっと私のそばに寄り添っておられたんだな、そして、ある縁が来た時にですね、今までここにあった、その種がパッと今少しずつ開いてくださっているのかなと思います。
思えば、この種を、子供の時から少しずつ植えていって下さっていたのは、私の父であったのだなと思う今日この頃でございます。本日はご拝聴いただき、どうも有難うございました。



浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

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