本文へ移動

法話

法話(オンライン法話のテキスト版です)

令和6年 5月 法話
法話1
今月5月10日より12日まで、光源寺では永代経法要が営まれます。
 そこで、今月は「永代経」について話をさせていただきます。

 「永代経」とは、永代読経のことで、永代にわたって阿弥陀様へ仏徳讃嘆の読経を行うということです。
 この度の永代経法要は、先人の方々のお陰により、お念仏のみ教えに遇うことができたことを感謝し、み教えが永代に伝わっていくようにとの願いを込めて行われるものです。
 先人の方々がお伝えくださったみ教えを伝えていく為には、今、そのみ教えに遇うことができる私達が、まず、み教えをいただいていく事が大切ではないでしょうか?

 阿弥陀様が私を助ける教え・お念仏のみ教えが説かれてあるお経が、『浄土三部経』と言われる、『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』であります。
 それぞれの内容を簡単に説明しますと、

●『仏説無量寿経』の
  ・「四十八願」によって、すべての衆生を救う為に、無量光寿の仏となり、南無阿弥陀仏の六字の名号となりて、いつでも・どこでも・誰にでも到り届き、はたらきかけ、浄土へ仏として生まれさせようと誓われ、
  ・「成就文」によって、光明と名号をもって、はたらきかけ、私達が名号を聞いて、お念仏申し・よろこぶ者に育て、必ず浄土へ仏と生まれさせることを完成された事が説かれ、

●『仏説観無量寿経』の
  ・「なんぢはこれ凡夫なり…」によって、お念仏のお救いの目当ては、凡夫である私達こそが目当ての真ん真ん中であり、
・「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と、阿弥陀様のみ名を信じ、そのみ名・お念仏を称えよとすすめられ、

●『仏説阿弥陀経』
・「倶会一処」によって、お念仏に包まれたものは、ともにお浄土に往き、仏として生まれ、再び出遇うことができる事を
・「六方段」によって、六方の数限りない仏さま方々が、間違いないと証明してくださり、その仏さま方々がお護りくださるお念仏の道を歩みなさいとおすすめ下さっている。

と言うことが説かれてあります。

つまり『浄土三部経』で、阿弥陀様は、すべての衆生を救う為に「南無阿弥陀仏」のお念仏によって救うと誓われ、成就・完成し、「南無阿弥陀仏」とおはたらきかけ下さる仏さまとなられ、その阿弥陀様のお救いの目当ては、自分ではどうすることもできない凡夫である私達であることが示され、その凡夫である私達が、阿弥陀様のおはたらきによって、ともにお浄土に仏として生まれることを六方の仏さま方々が、間違いないと証明してくださり、お念仏の道を歩みなさいとおすすめ下さっている。

 阿弥陀様は、十劫という遠い昔に、すべての衆生を救う為に「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏さまとなって下さった。 
 
 約2500年前に、お釈迦様がおでましになり、阿弥陀様を発見され、『浄土三部経』を説かれ、お念仏のみ教えをお伝えし・おすすめ下さり、

 そのお釈迦様がおすすめ下さったお念仏のみ教えをインド・中国・日本の七人の高僧方々が、私たちに分かりやすいよう解釈し、おすすめ下さりました。

 七高僧のおすすめがあったからこそ、親鸞聖人はお念仏に出遇われ・自らがいただかれ・よろこばれ、共にお念仏の道を歩みましょう とおすすめ下さっていることが、『正信念仏偈』によって示されています。

その親鸞聖人のおすすめをたくさんの先人の方々が受け継ぎ・お伝えして下さったからこそ、今私達はお念仏に出遇うことができたのです。

 阿弥陀様が「ほってはおかん」と立ち上がって下さり・「南無阿弥陀仏」とはたらきかけ下さる仏さまとなられたのは、この私の為であったと聞かせていただき、自らがお念仏申し・よろこび、そのよろこびを他の人に・次に伝えていく、この度の永代経法要のご縁であっていただきたいものであります。

法話2
「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」
『正信偈』の中の一文です。  現代語訳では、
「ほとけの誓い信ずれば いとおろかなるものとても すぐれし人とほめたまい 白蓮華とぞたたえます」
先日、ご縁をいただいていた、福岡市にお住いの元ご住職様から、『白蓮華』という本が送られてまいりました。その本は、脊髄カリエスで病床17年、昭和21年1月14日、35才でご往生される迄お念仏相続に励まれた、藪てい子さんというお方の言行録であります。
藪てい子さんは、福岡県・篠栗町のお寺に生まれ、女学校を卒業して、東京の音楽学校に入学することが決まり、幸せの絶頂の時、背中に違和感を覚え、病院で検査すると、当時難病といわれていた「脊髄カリエス」と判明し、その後はベッドの上から一歩も動くことが出来ない身となられたお方であります。 「なんでこのような病気になったのでしょうか・・・」 「私はまだ若いのに、このままでは死にたくありません・・・・」 と、幾度もむせび泣きながらの生活をされておられたそうであります。

やがて、彼女はあるお方とのお出会いによって、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごと、たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」という『歎異抄』のお言葉に出遇われ、それから仏法聴聞がはじまり、また多くの先生とのお出遇いによって、「私はなんと幸せ者でしょうか、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・・」と、お念仏申す生活に一変されたそうであります。  疑いも 計らい心も み仏に からめとられし 今日の嬉しさ  と歌っておられます。

ある方がてい子さんに寄せたお言葉に、 「血涙(なみだ)14年の病床生活は随分苦しゅうございました。辛うございました。天地も裂けよとばかり慟哭(どうこく)いたしました。 でも今にして思えば『この血涙(なみだ)あったればこそ』と、仰臥(ぎょうが)のまま合掌させていただく日本一、世界一の幸せ者でございます」 との一節に胸をうたれます。 おていさん よかったですね。本当に。 この血涙(なみだ)あったればこそ、言うに言われぬ嬉しい世界もひらけて来たのですね。
梅原真隆先生のお歌に 「ほほえみに かがやくいのち なみだにも くもらぬいのち たたえまつらん」 というのがあります。 順境にあっても、美しく輝き、逆境のただなかにあっても、いささかもくもらず、いじけず、無碍に生き抜く力は信心ひとつですものね。」  という一文がありました。

「無碍の喜び」という、藪てい子さんの辞世の歌をご紹介させていただきます。
楽しき青春(はる)の日もしらず 病みて牀上(しょうじょう)14年
絞りし血涙(なみだ)も今は早や 歓喜の涙と変じける あゝ有難や 不思議さよ

ベッドの上に臥せしまま 翼拡(ひろ)げて法界の 無碍の世界をとびまわる
世界一なる幸福者 あゝ有難や 不思議さよ

「念仏者は無碍の一道なり」『歎異抄』「7条」のお言葉そのままを生きておられた藪 てい子さん。 障りあるまま、苦悩あるまま、如来さまの大悲に摂取された尊いお姿を知らされます。
藪てい子さんのお名前は以前お聞きしたことはありましたが、その方の尊いご本が重々無尽のご縁によって、私にまで到り届いて下さった不思議さ、有難さを、深くよろこばせていただくばかりであります。  南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派
巍々山 光源寺

〒850-0802
長崎県長崎市伊良林1丁目4-4
TEL.095-823-5863
FAX.095-823-7231
 
TOPへ戻る